サンボウ

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サンボウ
欧字表記 Sun Beau
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1925年
死没 1944年
Sun Briar
Beautiful Lady
母の父 Fair Play
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 Willis Sharpe Kilmer
馬主 Willis Sharpe Kilmer
調教師 Charles W. Carroll
Andy Schuttinger
Jack Whyteなど
競走成績
生涯成績 74戦33勝
獲得賞金 376,744ドル
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サンボウSun Beau1925年 - 1944年)は、アメリカ合衆国で生産・調教された競走馬、および種牡馬である。若年時代は成績が振るわなかったが、のちにホーソーンゴールドカップ3連覇などで当時の獲得賞金記録を更新した。

経歴[編集]

デビューは1927年。その年は4戦して1勝、翌年もプリークネスステークスでは5着、ケンタッキーダービーでは11着と、3歳の春ごろまではまったくよいところを見せられなかった。

しかし、1928年の秋ごろからサンボウは突如として本格化した。そのシーズン後半だけでポトマックハンデキャップなどのステークス競走を含む8勝を挙げる活躍劇を繰り広げ、翌年もアケダクトハンデキャップやワシントンハンデキャップなどを含む14戦6勝の成績を残し、これによって1929年の北米年度代表馬に選出された。

サンボウはその後2年間競走を続け、5歳時・6歳時にはそれぞれ9勝する堅実な成績を収めた。その間にもアーリントンハンデキャップなど多くのステークス競走に優勝しているが、その中でもとくにホーソーンゴールドカップは4歳から6歳までの間に3連覇を達成しており、この記録はその後も未だ破られていない。

そしてサンボウは1931年をもって引退した。1931年まで年度代表馬の座も独占し続け、エクスターミネーター以来となる3年連続の年度代表馬に選ばれている。引退までに稼ぎ出した賞金はそれまでの賞金王ギャラントフォックスの記録を破る376,744ドルで、これはその後シービスケットに破られるまで9年間保持されていた。

引退後は種牡馬として期待されたが、亡くなるまでに出したステークス勝ち馬は6頭のみで、期待に反して成功できなかった。1943年に死亡した。

評価[編集]

おもな勝鞍[編集]

1927年(2歳) 4戦1勝
1928年(3歳) 23戦8勝
ポトマックハンデキャップ、メリーランドハンデキャップ、ラトニアチャンピオンシップ、ターフウェイパークフォールチャンピオンシップ
1929年(4歳) 14戦6勝
ハバードグラースハンデキャップ、ホーソーンゴールドカップ、ワシントンハンデキャップ、アケダクトハンデキャップ
1930年(5歳) 19戦9勝
ホーソーンゴールドカップ(連覇)、ワシントンハンデキャップ(連覇)、トロントオータムカップ
1931年(6歳) 14戦9勝
ホーソーンゴールドカップ(3連覇)、フィラデルフィアハンデキャップ、アーリントンハンデキャップ

年度代表馬[編集]

  • 1929年 - 全米年度代表馬
  • 1930年 - 全米年度代表馬
  • 1931年 - 全米年度代表馬

表彰[編集]

エピソード[編集]

  • サンボウは担当調教師が引退するまでにたびたび交代しており、5年間の競走生活中に同馬の調教を担当した人物は8人もいた。

血統表[編集]

サンボウ血統(サンドリッジ系(キングファーガス系) / Sierra(Sainfoin) 3x4=18.75%、 St. Simon 4x5=9.38%、 Bend Or 4x5=9.38%) (血統表の出典)

Sun Briar
1915 鹿毛 フランス
父の父
Sundridge
1898 栗毛 イギリス
Amphion Rosebery
Suicide
Sierra Springfield
Sanda
父の母
Sweet Briar
1908 鹿毛 フランス
St. Frusquin St. Simon
Isabel
Presentation Orion
Dubia

Beautiful Lady
1916 栗毛 アメリカ
Fair Play
1905 栗毛 アメリカ
Hastings Spendthrift
Cinderella
Fairy Gold Bend Or
Dame Masham
母の母
Mileage
1909 アメリカ
Rock Sand Sainfoin
Roquebrune
Lady Madge Rayon Dor
Lady Margaret F-No.4-r


外部リンク[編集]