サイクロトロン

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現存する「理研・第3号サイクロトロン」のイオン加速器

サイクロトロンとは、イオンの円形加速器の一種。

概要[編集]

アーネスト・ローレンスが1932年に考案した。彼は1934年にアメリカ合衆国特許第1,948,384号を取得した。当初、ノルウェーの物理学者Rolf Widerøeの論文に触発されてローレンスはDavid H. Sloanと共に線形加速器を作ったものの、当時使用可能だった高周波電源では線形加速器が長くなりすぎるので小型化する事を検討したとされる[1][2] 。ローレンスは一様な磁場の中の荷電粒子の回転周期が粒子の運動エネルギーによらず(非相対論的には)一定であることを見つけ、当時学生だったM.S.リヴィングストン英語版が小型の原理実証機を作った。直径4インチ(10cm)のもので水素分子イオンを80keVまで加速でき、次には直径11インチで1931年に陽子を1.1MeVまで、磁場補正で集束力を付けて1932年に1.22MeVまで加速できた。リヴィングストンとローレンスは実用機として1934年にPoulsen arc magnetを利用した27インチのものを製作した[1]。世界で初めて合成された元素であるテクネチウムは、モリブデンにサイクロトロンで加速した重陽子線をぶつけて合成された。

一方、国内では1936年に大阪帝国大学でサイクロトロンの建設が始まった。1937年に理化学研究所仁科芳雄が主導して日本初の26インチ小サイクロトロンが完成。少し遅れて大阪帝国大学でも24インチ小サイクロトロンが完成。1944年に理化学研究所にて200トンの大サイクロトロンが完成。第二次世界大戦前、戦中に日本国内に設置されたサイクロトロンは理化学研究所に大小2台、大阪大学に1台、京都大学に1台(建設中)あったが第二次世界大戦後、GHQにより破壊された[3]。大阪大学に設置されていたサイクロトロンは1台だったが、ベータ線スペクトロメータ用の磁石をサイクロトロンと誤解して破壊された[3]。この破壊行為はアメリカの物理学者たちの批判を浴びた。その後、来日したローレンスはこれらのサイクロトロンの再建に尽力した。

1939年、ジョセフ・ロートブラットがイギリスへ渡り、リヴァプール大学でサイクロトロンの研究に関わった。1940年、エドウィン・マクミランがサイクロトロンを用いて超ウラン元素ネプツニウムを発見。1945年、マクミランはサイクロトロンを改良したシンクロトロンの着想を得た。

原理[編集]

上下に電磁石があり、ローレンツ力荷電粒子の軌道が円を描き、徐々に加速するにつれて軌道半径が広がり、外側から出る。

関連項目[編集]

脚注[編集]

参考文献[編集]

関連リンク [編集]

  • 伊藤順吉「磁気共鳴の夜明け」、『日本物理学会誌』第51巻第7号、日本物理学会、1996年2016年9月15日閲覧。