コンスタンチン・コロチェーエフ

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コンスタンチン・アポロノヴィチ・コロチェーエフロシア語: Константин Аполлонович Коротеев1901年2月11日 - 1953年1月4日)は、ソ連の軍人。大将。ソ連邦英雄

経歴[編集]

ハリコフ県ボゴドゥホフスキー郡シチェグロフカ村出身。1916年、ロシア帝国軍に召集。

1918年、赤軍に入隊。ロシア内戦に従軍し、中隊長を務めた。戦後、連隊参謀長、連隊長、師団参謀長を歴任。1926年、「ヴィストレル」課程を修了。1938年、全連邦共産党(ボリシェヴィキ)に入党。ソ・フィン戦争時、狙撃師団を指揮。1940年3月から、狙撃軍団長、レニングラード軍管区歩兵監察官。

独ソ戦時、1941年10月から第12軍司令官。1942年4月から南部戦線副司令官。1942年~1943年、第9軍、第18軍、第57軍の司令官、1943年7月から第52軍司令官。

戦後、軍を指揮し、1947年、参謀本部軍事アカデミー附属高等学術課程を修了。1947年7月~1951年3月、ザバイカル軍管区司令官。1950年からソ連最高会議代議員。

パーソナル[編集]

ソ連邦英雄(1945年4月6日)。