コンスタンス・オブ・カスティル
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コンスタンス・オブ・カスティル Constance of Castile | |
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出生 |
1354年 カスティーリャ王国、カストロヘリス |
死去 |
1394年3月24日 イングランド王国、レスター |
埋葬 | イングランド王国、レスター、ニューアーク・アビー |
配偶者 | ランカスター公ジョン・オブ・ゴーント |
子女 |
キャサリン ジョン |
家名 | ボルゴーニャ家 |
父親 | カスティーリャ王ペドロ1世 |
母親 | マリア・デ・パディーリャ |
コンスタンス・オブ・カスティル(Constance of Castile, 1354年 - 1394年3月24日)は、イングランド王族ランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの2番目の妃。カスティーリャ王ペドロ1世とマリア・デ・パディーリャの娘。スペイン語名はコンスタンサ・デ・カスティーリャ(Constanza de Castilla)。
生涯
[編集]1371年にアキテーヌでジョン・オブ・ゴーントと結婚した。2人の間には1男1女が生まれた。
- キャサリン(1372/1373年 - 1418年)
- ジョン(1374年 - 1375年)
翌1372年に妹イザベラ(イサベル)が、夫の弟ヨーク公エドマンド・オブ・ラングリーと結婚している。
コンスタンスの父ペドロ1世は庶兄エンリケ2世との戦い(第一次カスティーリャ継承戦争)の末、1369年に殺害されて王位を奪われた。ジョンは1386年から1389年にかけてカスティーリャへ遠征し、妻の権利として王位継承権を主張したが、目的は達せられなかった。1393年に娘キャサリンがエンリケ2世の孫エンリケ3世と結婚することで、両家は和解した。
コンスタンスは1394年にレスターで死去した。2年後の1396年、ジョンは長年の愛人だったキャサリン・スウィンフォードを3番目の妃に迎えた。