クリストフ・フォン・バーデン=ドゥルラハ

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クリストフ・フォン・バーデン=ドゥルラハ
Christoph von Baden-Durlach
クリストフ・フォン・バーデン=ドゥルラハ(1696年)

出生 (1684-10-09) 1684年10月9日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
バーデン=ドゥルラハ辺境伯領、ドゥルラハ、カールスブルク宮殿
死去 (1723-05-02) 1723年5月2日(38歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
バーデン=ドゥルラハ辺境伯領、カールスルーエ
配偶者 マリー・クリスティネ・フェリツィタス・ツー・ライニンゲン=ダグスブルク=ファルケンブルク=ハイデスハイム
子女 カール・アウグスト
カール・ヴィルヘルム・オイゲン
クリストフ
家名 ツェーリンゲン家
父親 バーデン=ドゥルラハ辺境伯フリードリヒ7世マグヌス
母親 アウグスタ・マリー・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ
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クリストフ・フォン・バーデン=ドゥルラハドイツ語:Christoph von Baden-Durlach, 1684年10月9日 - 1723年5月2日)は、バーデン=ドゥルラハ辺境伯家の公子で、名目上のバーデン=ドゥルラハ辺境伯。

生涯[編集]

クリストフはバーデン=ドゥルラハ辺境伯フリードリヒ7世マグヌスと、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ公フレゼリク3世の娘アウグスタ・マリーの息子である。バーデン=ドゥルラハ辺境伯カール3世ヴィルヘルムの弟である[1]

結婚と子女[編集]

1711年12月4日にライニンゲン=ダグスブルク伯ヨハン・カール・アウグストとヨハンナ・マグダレーナ・フォン・ハーナウ=リヒテンベルクの娘マリー・クリスティーネ・フェリーツィタス(1692年12月30日 - 1734年6月3日)と結婚した[2]。この結婚で以下の子女が生まれた。

  • カール・アウグスト(1712年11月14日 - 1786年9月30日) - バーデン=ドゥルラハ辺境伯領の摂政。ユリアネ・シュミットと結婚。
  • カール・ヴィルヘルム・オイゲン(1713年11月13日 - 1783年5月9日) - 軍人、1743年に兄と共にバーデン=ドゥルラハ辺境伯領の統治に加わった。
  • クリストフ(1717年6月5日 - 1789年12月18日) - 1779年11月28日にカタリーナ・ヘリッシャーと結婚

クリストフの死後、マリー・クリスティーネ・フェリーツィタスはザクセン=アイゼナハヨハン・ヴィルヘルムの4番目の妃となった[2]

2人の息子が貴賤結婚をし、息子1人は未婚であったため、後にルイーゼ・カロリーネ・フォン・ガイヤースベルクとの貴賤結婚によりバーデン大公カール・フリードリヒの子孫の相続権をめぐって論争が始まったとき、クリストフの子孫もバーデン=ドゥルラハ家の存続に貢献できなかった。

脚注[編集]

  1. ^ Sachs 1773, p. 176.
  2. ^ a b Sachs 1773, p. 183.

参考文献[編集]