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カール・シュタウファー=ベルン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カール・シュタウファー=ベルン
Karl Stauffer-Bern
自画像
生誕 1857年9月2日
スイスの旗 スイス, トルプシャヘン
死没 1891年1月24日
イタリア王国の旗 イタリア王国, フィレンツェ
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ローマで彫刻作品を製作するスタウファー=ベルン

カール・シュタウファー=ベルン(Karl Stauffer-Bern、1857年9月2日 - 1891年1月24日)はスイス生まれで、主にドイツで活躍した画家、版画家、彫刻家である。

略歴

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スイス、ベルン州のトルプシャヘンの牧師の息子に生まれた。母親の兄にイギリスで教育者として働いた精神科医のルドルフ・シェーラー(Rudolf Schärer) がいる。地元の学校での教育になじまず、ベルンに送られて教育されたが高校を中退し、ミュンヘンに移り、短い間、装飾画家の弟子になった。ベルンに戻り、奨学金を得て、1876年から1880年の間、ミュンヘン美術院で美術を学んだ[1]。ミュンヘン美術院ではヨハン・レオンハルト・ラーブやヴィルヘルム・フォン・ディーツルートヴィヒ・フォン・レフツに学んだ。

その後、ベルリンに移り、アントン・フォン・ヴェルナーのスタジオで肖像画家としての訓練を受けた。ベルリンでは版画家として知られるようになった。1881年にベルリンの国際展覧会に友人の彫刻家、マックス・クラインの肖像画を出展し、肖像画家として人気を得ることになった。1886年までベルリンで女性のための絵画教室の教授も務め、教えた女性画家にはケーテ・コルヴィッツヘートヴィヒ・ヴァイスクララ・ジーベルトらがいる。

肖像画家、版画家として高い評価を得ていた1886年に、画家としての才能に疑いを持ち、ギリシャ彫刻にあこがれ、彫刻家、ヴェゲナー(Ernst Waegener)の工房で、彫刻作品の制作を始めた。

スイスの鉄道会社の社主、アルフレート・エッシャー夫妻の支援を受け、1888年にエッシャー夫妻とローマに旅し、ローマで彫刻家、画家のマックス・クリンガーとも知り合い、作品「Adorant」の製作を行った。1890年にローマでエッシャー夫人と恋愛事件を起こし、シュタウファーは強姦などの容疑で5月に逮捕され、嫌疑不十分で6月に釈放された。釈放後はフィレンツェのアドルフ・フォン・ヒルデブラントのスタジオで彫刻制作を行うが[2]、うつ状態になり、自殺を試みたり、修道院へ入る依頼などをした後、1891年に薬物を摂取し自殺した。エッシャー夫人も1年後に自殺した。

作品

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参考文献

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  • Otto Brahm: Karl Stauffer-Bern. Sein Leben, seine Briefe, seine Gedichte. Stuttgart 1892.[5]
  • A. W. Züricher (Hrsg., Einleitung): Familienbriefe und Gedichte von Karl Stauffer-Bern. Insel Verlag, Leipzig / Verlag der Süddeutschen Monatshefte, München 1914.
  • Fritz Stöckli (Hrsg.): Karl Stauffer-Bern. Leben – Werk – Briefe. Verlag Hallwag, Bern 1942.
  • Matthias Frehner, Brigitta Vogler-Zimmerli (Hrsg.): «Verfluchter Kerl!» Karl Stauffer-Bern, Maler, Radierer, Plastiker. NZZ Libro, Zürich 2007, ISBN 978-3-03823-362-6.
  • Bernhard von Arx: Karl Stauffer und Lydia Welti-Escher, Chronik eines Skandals. Hallwag, Bern 1969; Zytglogge, Bern/Bonn/Wien 1991, ISBN 3-7296-0408-2.
  • Bernhard Echte, Hans Peter Krähenbühl (Hrsg.): Karl Stauffer-Bern: Maler, Radierer, Bildhauer. [Begleitpublikation zur Ausstellung «Ein gescheuter Gesell ... Karl Stauffer-Bern 1857–1891» in der Städtischen Wessenberg-Galerie, Konstanz, 15. September 2007 – 24. Februar 2008.] Nimbus, Wädenswil 2007, ISBN 978-3-907142-23-3.
  • Melanie Neubert: Robert Binswangers pathographische Studie über den Schweizer Maler Karl Stauffer-Bern. Dissertation. Tübingen 2007 Digitalisat.
  • Willi Wottreng: Die Millionärin und der Maler: die Tragödie Lydia Welti-Escher und Karl Stauffer-Bern. Orell Füssli, Zürich 2005, ISBN 3-280-06049-4.
  • Willi Wottreng: Lydia Welti-Escher. Eine Frau in der Belle Epoque. Elster-Verlag, Zürich 2014, ISBN 978-3-906065-22-9.
  • Paul Schlenther: Stauffer, Karl. In: Allgemeine Deutsche Biographie (ADB). Band 35, Duncker & Humblot, Leipzig 1893, S. 527–529.
  • Erika Billeter: Malerei und Photographie im Dialog. Benteli Verlag, Bern, 1979, S. 40, ISBN 3-7165-0311-8

脚注

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  1. ^ Akademie der Bildenden Künste München. "Karl Stauffer, 1876, Matrikelbuch, Akademie der Bildenden Künste München". 2019年6月12日閲覧
  2. ^ Cäsar Menz. "Stauffers Adorant". 2019年10月28日閲覧