オラニア
![]() |
オラニア Orania | |||
---|---|---|---|
![]() オラニア市の上空写真 | |||
| |||
位置 | |||
座標 : 南緯29度48分51.6秒 東経24度24分35.5秒 / 南緯29.814333度 東経24.409861度 | |||
行政 | |||
国 | ![]() | ||
州 | 北ケープ州 | ||
郡 | ピクスリー・カ・セメ郡 | ||
市 | オラニア | ||
人口 | |||
人口 | (2011年現在) | ||
市域 | 892人 | ||
その他 | |||
等時帯 | 南アフリカ標準時 (UTC+2) | ||
公式ウェブサイト : オラニア市公式サイト |
オラニア(アフリカーンス語: Orania)は、南アフリカ共和国北ケープ州にある都市。
アパルトヘイト廃止後唯一、南アフリカ国内でオランダ系白人(アフリカーナー)のみで構成された街として知られる。
概要[編集]
元は1960〜70年代に建設労働者の集落として形成された街である。
現在の「オラニア」としての歴史は、1990年にカレル・ボショフ(ヘンドリック・フルウールト元南アフリカ首相の娘婿)を初めとする11のアフリカーナーの家族たちがこの周辺の土地を購入し移住したのが始まりである。
現在でも市内ではアフリカーンス語のみが用いられ、地域通貨「オーラ」(1オーラ=1ランド)が流通している。治安も南アフリカ他都市に比べはるかに良好とされる。市民たちは「黒人を差別するためではなく、アフリカーナーの文化を守るためにここに住んでいる」としている。
政治[編集]
アフリカーナーを支持基盤とする政党「自由戦線プラス」が選挙のたびに地滑り的大勝を収めている。
出典[編集]
- 読売新聞 2004年1月23日付
関連項目[編集]
- アフリカーナー
- ボーア人国家(Volkstaat) - アパルトヘイト末期から始まったアフリカーナー(ボーア人)の運動のひとつで、南アフリカ国内におけるアフリカーナー(ボーア人)自治区の設置、もしくは黒人国家となった南アフリカ共和国からの分離独立を目的とする。オラニアの建設も、この構想の影響を受けている。
外部リンク[編集]
- オラニア市公式サイト(アフリカーンス語)