エドワード・ハーレー (第5代オックスフォード=モーティマー伯爵)
第5代オックスフォード=モーティマー伯爵エドワード・ハーレー(英語: Edward Harley, 5th Earl of Oxford and Earl Mortimer、1773年2月20日 – 1848年12月30日)は、イギリスの貴族。
生涯
[編集]聖職者ジョン・ハーレー(1788年1月7日没、第3代オックスフォード=モーティマー伯爵エドワード・ハーレーの次男)とローチ・ヴォーン(Roach Vaughan)の息子として、1773年2月20日に生まれた[1]。ウェストミンスター・スクールで教育を受けた後[1]、1791年1月21日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1792年11月22日にM.A.の学位を、1793年7月3日にD.C.L.の学位を修得した[2]。
1790年10月11日に伯父エドワードが死去すると、オックスフォード=モーティマー伯爵の爵位を継承した[1]。
イタリアを旅している最中の1803年、ヘンリー・ビッカースティース(1783年 – 1851年、後の初代ラングデイル男爵)が付添いの医者になり、1805年まで務めた。2人は友人になり、伯爵はビッカースティースのパトロンにもなった。1835年にはビッカースティースが伯爵の長女ジェーン・エリザベスと結婚した。
私生活では1804年にエウィアス・レイシ(Ewyas Lacy)のタイス(Tythe、面積の単位で10ハイドにあたる)を競売で売却した[3]。
1848年12月30日、邸宅ブランプトン・ブライアン・ホールで死去[4]、息子アルフレッドが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1794年3月3日、ジェーン・エリザベス・スコット(1774年 – 1824年)と結婚[1]、下記の子女を儲けた[5][6]。
- ジェーン・エリザベス(1796年3月2日 – 1872年9月1日 インスブルック) - 1835年8月17日、初代ラングデイル男爵ヘンリー・ビッカースティースと結婚
- エドワード(1800年1月20日 – 1828年1月1日) - ハーレー卿の儀礼称号を使用した。1818年5月5日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学したが、1828年1月1日にジャージー沖で溺死[2]
- シャーロット・メアリー(1801年12月12日 – 1880年5月9日) - 1823年3月4日、アンソニー・ベーコンと結婚
- アン(1803年7月31日 – 1874年5月18日 フィレンツェ) - ジョヴァンニ・バッティスタ・ラビッティ(Giovanni Battista Rabitti、1797年11月3日 – 1844年11月5日)と結婚、3子を儲けた[7]
- フランシス(1805年1月26日 – 1872年10月15日) - 1835年4月20日、ヘンリー・ヴェナブルス・ヴァーノン・ハーコート(Henry Venables Vernon Harcourt、1791年 – 1853年2月26日、エドワード・ヴェナブルス=ヴァーノン=ハーコートの息子)と結婚[7][8]
- アルフレッド(1809年1月10日 – 1853年1月19日) - 第6代オックスフォード=モーティマー伯爵
- モーティマー(1811年12月17日 – 1812年4月3日) - 夭折
- ルイーサ - 夭折
ジェーン・エリザベス・スコットは第6代バイロン男爵ジョージ・バイロンの愛人になったことで知られていたため、子供たちの本当の父が第5代オックスフォード=モーティマー伯爵ではないとの噂が出回った。そのため、子供たちには「ハーレーの寄せ集め」(The Harleian Miscellany)という不名誉なあだ名が付けられた。
脚注
[編集]- ^ a b c d e Cokayne, George Edward, ed. (1895). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (N to R) (英語). Vol. 6 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 180.
- ^ a b Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (英語). Vol. 2. Oxford: University of Oxford. p. 609.
- ^ Wedell, Nina (October 2009). "Research paper: Tithe owners in Ewyas Lacy" (英語). 2019年7月6日閲覧。
- ^ "Death of the Earl of Oxford". The Times (英語). The Times Digital Archive. 1 January 1849. p. 8.
- ^ Burke, Bernard (1866). A Genealogical History of the Dormant, Abeyant, Forfeited, and Extinct Peerages of the British Empire (英語). Harrison. p. 266. 2016年11月17日閲覧。
- ^ Innes, Anne; Innes, Eliza; Innes, Maria (1844). The Peerage of the British Empire as at Present Existing: Arranged and Printed from the Personal Communications of the Nobility (英語). Saunders and Otley. p. 413. 2016年11月17日閲覧。
- ^ a b Law Journal Reports, vol. 26. Courts of Chancery: Michaelmas 1856 to Michaelmas 1857. p. 33.
- ^ LordByron.org: Lady Frances Venables-Vernon- Harcourt (née Harley), Lt.-Col. Henry Venables-Vernon- Harcourt
グレートブリテンの爵位 | ||
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先代 エドワード・ハーレー |
オックスフォード=モーティマー伯爵 1790年 – 1848年 |
次代 アルフレッド・ハーレー |