エドモンド・ローマン・オルリック

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エドモンド・ローマン・オルリック
Edmund Roman Orlik
生誕 1918年1月26日
死没 (1982-04-08) 1982年4月8日(64歳没)
所属組織 ポーランド陸軍(1937年-1939年)
国内軍 (ポーランド)(1940年-1944年)
戦闘 第二次世界大戦
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エドモンド・ローマン・オルリックEdmund Roman Orlik, 1918年1月26日 - 1982年4月8日[1])は、ポーランド軍人。1939年9月、20mm機関砲装備のTKSによりドイツ軍の戦車13輌を撃破し[1][2]銀十字軍功勲章ポーランド語版を受章した。

生涯[編集]

1918年1月26日ポーランドヴィエルコポルスカ県Rogoźnoポーランド語版に生まれる。1936年に高校を卒業すると同年9月25日から1937年10月1日にかけてModlin要塞ポーランド語版近くの機甲部隊訓練所とポズナンの装甲大隊で訓練を受ける。

1939年8月26日陸軍に軍曹として招集され、第71機甲大隊ヴィエルコポルスカ騎兵旅団偵察小隊の20mmFK model A/wz.38機関砲搭載型TKS豆戦車の指揮官となる。
1939年9月14日、ドイツ国防軍第4機甲師団第36戦車連隊のII号戦車3輌を撃破[1]
同月18日、オルリックのTKSは2両のTK-3とともに索敵のためワルシャワ西のKampinosポーランド語版付近に向かった。戦車と機関銃の音が聞こえたため隠れて待ち伏せしているとIV号戦車B型1輌と35(t)戦車2輌が現れたためこれを撃破した。なおこの時IV号戦車に指揮官として搭乗していたのはヴィクトル・アルブレヒト・フォン・ラティボルだった[1]
翌19日オルリックはSieraków付近で機械化部隊の車列を攻撃し35(t)戦車7両を破壊し2名を捕虜にした。その後弾薬が尽きたため戦線を離脱した。

ワルシャワ陥落後は抵抗運動に参加。

1982年、自動車事故により死亡する[1]。64歳没。

関連項目[編集]

脚注[編集]