ウラジーミル・スヴャトポルコヴィチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウラジーミル・スヴャトポルコヴィチ
Владимир Святополкович
ピンスク公
在位 1207年 - 1228年以前

死去 1228年以前
家名 リューリク家
父親 トゥーロフ・ピンスク公スヴャトポルク
テンプレートを表示

ウラジーミル・スヴャトポルコヴィチ(スヴャトポルチチ)ロシア語: Владимир Святополкович(Святополчич)、生没年不明)は、13世紀初めのピンスク公である(在位:1207年 - 1228年以前)。スヴャトポルク・ユーリエヴィチの子。

概略[編集]

A.プレスニャコフ(ru)の説によれば、13世紀初めのトゥーロフ・ピンスク公国はスヴャトポルク・ユーリエヴィチの子らが所領としており、おそらく、その筆頭はピンスクのウラジーミルであったとされている[1]。また、この時期のトゥーロフ・ピンスク公国の中心地は、かつての中心地であったトゥーロフからピンスクに移動していたと考えられている[2]

1207年、ウラジーミルらスヴャトポルクの子達は、チェルニゴフ公フセヴォロドと同盟を結び、キエフ大公リューリクと戦った。1228年には、ピンスク公として、ウラジーミルの兄弟のロスチスラフの名が記されているため、ウラジーミルのピンスク公の在位期間は1228年以前までということになる。

妻の名は不明。子と推定される人物として、ウラジーミルとミハイル(ru)が挙げられている。

出典[編集]

  1. ^ Пресняков А. Е. Княжое право в Древней Руси. Лекции по русской истории. Киевская Русь. — М.: Наука, 1993
  2. ^ Грушевский М. С. Історія України-Руси. Том II. Розділ IV. Стор. 5
先代
アンドレイ
ピンスク公
1207年 - 1228年以前
次代
ロスチスラフ