イヴァン・ロマノフ

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イヴァン・ロマノフ
Иван Романов

出生 1560年代
死去 1640年7月16日
配偶者 ウリヤナ・フョードロヴナ・リトヴィノヴァ=マサラスカヤ
子女 一覧参照
家名 ロマノフ家
父親 ニキータ・ユーリエフ=ザハーリン
母親 エウドキヤ・アレクサンドロヴナ・ゴルバチヤ=シュイスカヤ
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イヴァン・ニキーチチ・ロマノフ(Иван Никитич Романов / Ivan Nikitich Romanov, 1560年代 - 1640年7月16日)は、ニキータ・ユーリエフ=ザハーリンの息子の一人で、母はその2番目の妻である公女エウドキヤ・アレクサンドロヴナ・ゴルバチヤ=シュイスカヤ。フョードル・ロマノフの異母弟、ツァーリとなったミハイルの叔父にあたる。

生涯[編集]

1605年に大貴族(ボヤーレ)身分に叙せられ、1613年のツァーリ選出のために開かれた全国会議でもツァーリ候補者の一人に挙がった。コサックたちが甥のミハイルを支持すると、彼らに向かって「ミハイル・フョードロヴィチはまだ幼く、分別も備わってない」と言ったと伝えられる。そのためか、ミハイル選出後にイヴァンが官職に与ることはなかった。

子女[編集]

公女ウリヤナ・フョードロヴナ・リトヴィノヴァ=マサラスカヤと結婚し、6人の子女をもうけた。

  • ニキータ
  • アンドレイ(1609年4月25日没)
  • ドミトリー(1611年11月4日没)
  • イリナ(1615年9月10日没)
  • プラスコヴィヤ(1622年10月25日没)
  • イヴァン(1625年6月30日没)