インディオ援軍

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16世紀のトラスカラの歴史英語版に描かれているようにトラスカラの援軍がグアテマラでスペインを支援している。

インディオ援軍(-えんぐん、スペイン語: Indios auxiliares英語: Indian auxiliaries)は スペインと同盟しスペインによるアメリカ大陸の植民地化コンキスタドールと共に戦ったアメリカ先住民である。この援軍は特にスペインのインカ帝国征服英語版で道案内や通訳、荷運びとしてヤナクナ英語版とも呼ばれる活動をした。この言葉は偵察や戦闘のためにスペインに使われた先住民の戦士から成り立つ編隊にも使われた。先住民の援軍はアメリカ州の植民地に対する支配を維持するスペインにより使われ続け、度々最前線に駐留し、しばしばアラウコ戦争のような反植民地の反乱を抑圧するのに使われた。

歴史[編集]

一般に同盟から起こったインディオ援軍の隊形はスペインにより作られ、征服を意図している領域の占領中に見出した民族間の反目につけ込んだ。エルナン・コルテスはこの先住民との縦陣を強化したことで知られる最初の総督の一人であった。一般に征服が終わるとこのインディオ援軍は既に征服した領域の入植者に割り振られた。しばしば征服者の家来の最大のグループとみなされた。

メキシコ[編集]

1519年から1521年のアステカに対するエルナン・コルテスの戦役でトラスカラ王国のような様々な国からの数十万人の先住民の援軍で(約1300人の)貧弱なスペイン兵の部隊を補った。アステカの首都テノチティトランの最後の包囲戦で、メキシコ盆地ソチミルコ湖英語版周辺の多くの国から動員されたアステカの戦士が30万人以上を数えた一方で、兵士の一人ベルナル・ディアス・デル・カスティリョの報告によるとコルテスは約20万人のトラスカラなどの先住民の援軍がいた。

グアテマラ[編集]

グアテマラへのペドロ・デ・アルバラードの遠征は480人のスペイン人と中央メキシコのトラスカラ王国チョルーラなどの都市からの数千人のインディオ援軍から成り立っていた[1]。グアテマラではスペインはいつものように先住民の同盟を編成し、初めはこの部隊は最近征服されたメキシコからもたらされたナワ族であり、後にマヤ人も含まれた。戦場のスペイン人毎に少なくとも10人の先住民の援軍がいたと見積もられている。時にスペイン人当たり30人の先住民の戦士がいて、特に決定的なこのメソアメリカの同盟参加国であった[2]。新たに征服されたマヤ人のグループにツトゥヒル族ケツァルテナンゴキチェ族のように嘗て征服を受けたスペインに忠誠を誓い続け、更なる征服を手助けする戦士を提供した[3]

1524年、ツトゥヒル族に対する勝利を収めたばかりでペドロ・デ・アルバラードはグアテマラの太平洋岸低地地方の非マヤ系のシンカ族に対して部隊を率いた[4]。この時点でアルバラードの部隊は殆どがカクチケル族とチュロテク族の6000人の先住民の同盟軍が加わった250人のスペイン歩兵隊からなっていた[5]

サクレウマム族の要塞が1525年に40人のスペイン騎兵隊と80人のスペイン歩兵隊と[6]約2000人のメシカ族とキチェ族の同盟軍[7]と共にペドロ・デ・アルバラードの兄弟ゴンサロ・デ・アルバラード・イ・コントレラス英語版により[8]攻撃された。スペインが1530年にナバフ英語版イシル族の都市を包囲すると、先住民の同盟軍はなんとか壁をよじ登り砦を突破し火を付けられた。防衛する多くのイシル族の戦士は火と戦うことを諦め、スペインは入口に殺到し防衛線を突破できた[9]

ペルーとチリ[編集]

フィリピンと中国[編集]

征服後の植民地時代[編集]

当初の征服後はこの同盟の殆どは必要性が下がり時に厄介者とみなされた。同盟は当時広大なスペイン帝国の防衛に必要であった。スペイン帝国の軍事力に併合され、一部門を形成し、Compañías de Indios Nobles(「高貴なインディオ中隊」)のように自身の名前でヨーロッパ式に組織された。防衛の必要性はカリブ海の海賊のようなヨーロッパの脅威やチチメカ族アパッチ族コマンチェのようなアメリカの脅威や長引いたアラウコ戦争からもたらされた[16][要ページ番号]

関連項目[編集]

[編集]

  1. ^ Sharer and Traxler 2006, p. 763. Lovell 2005, p. 58. Matthew 2012, pp. 78–79.
  2. ^ Restall and Asselbergs 2007, p. 16.
  3. ^ Carmack 2001, pp. 39–40.
  4. ^ Letona Zuleta et al., p. 5.
  5. ^ Letona Zuleta et al., p. 6.
  6. ^ Lovell 2005, p. 61.
  7. ^ Carmack 2001, p. 39.
  8. ^ Gall 1967, p.39.
  9. ^ Lovell 2005, p. 65.
  10. ^ EDAF (2021-09-07) (スペイン語). Naves negras: La aventura del lago Español. ISBN 978-84-414-4115-6. https://books.google.com/books?id=QJJBEAAAQBAJ&dq=l%C3%B3pez+de+legazpi+tlaxcaltecas&pg=PT92 
  11. ^ Tato's Bear Cave ~ México en la conquista de Filipinas con guerreros tlaxcaltecas” (スペイン語). Tato's Bear Cave. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  12. ^ Fondo de Cultura Economica (2018-01-03) (スペイン語). De América a Europa: Cuando los indígenas descubrieron el Viejo Mundo (1493-1892). Fondo de Cultura Economica. ISBN 978-607-16-5340-6. https://books.google.com/books?id=aClTDwAAQBAJ&dq=l%C3%B3pez+de+legazpi+tlaxcaltecas&pg=PT94 
  13. ^ Ollé (2002).
  14. ^ Thomas (2015).
  15. ^ Comellas García-Lera (2009).
  16. ^ Martínez Laínez and Carlos Canales 2009.

参照[編集]

参考文献[編集]

  • Matthew, Laura E.; Michel R. Oudijk, eds (2007). Indian Conquistadors: Indigenous Allies in the Conquest of Mesoamerica. Norman: University of Oklahoma. ISBN 978-0806138541