アーサー・ゴア (第2代アラン伯爵)
第2代アラン伯爵アーサー・サンダース・ゴア(英語: Arthur Saunders Gore, 2nd Earl of Arran KP PC (Ire)、1734年7月25日 – 1809年10月8日)は、アイルランド王国出身の貴族、政治家。襲爵以前はサッドリー子爵の儀礼称号を使用した。
生涯
[編集]アーサー・ゴア(後の初代アラン伯爵)とジェーン・サンダース(Jane Saunders、1704年12月20日洗礼 – 1747年3月20日、リチャード・サンダースの娘)の息子として、1734年7月25日に生まれた[1]。
1757年にウェックスフォード県長官を、1765年にメイヨー県長官を務め、1771年にアイルランド枢密院の枢密顧問官に任命された[1]。また、1759年から1760年までドニゴール・バラ選挙区の代表として、1761年から1768年までウェックスフォード・カウンティ選挙区の代表としてアイルランド庶民院議員を務め、1768年から1773年まで再びドニゴール・バラ選挙区の代表として議員を務めた[2]。1773年4月17日に父が死去すると、アラン伯爵位を継承、1774年4月26日にアイルランド貴族院議員に就任した[1]。
1773年から1786年までメイヨー首席治安判事を務めた[1]。
1783年2月5日、聖パトリック勲章を授与され、聖パトリック騎士団創設時点の団員15名のうちの1人となった[1]。
1809年10月8日に死去、息子アーサー・サンダースが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1760年7月24日、キャサリン・アンズリー(Catherine Annesley、1770年11月23日没、初代グレローリー子爵ウィリアム・アンズリーの娘)と結婚[1]、2男4女をもうけた[3]。
- アーサー・サンダース(1761年7月20日 – 1837年1月20日) - 第3代アラン伯爵[3]
- アン・ジェーン(1827年5月没) - 1783年、ヘンリー・ハットン(Henry Hatton)と結婚。1800年4月3日、初代アバコーン侯爵ジョン・ハミルトンと再婚[3]
- エリザベス・アラミンタ(Elizabeth Araminta) - ヘンリー・マンク(Henry Monck)と結婚[3]
- キャサリン・シャーロット(Catherine Charlotte、1766年9月 – 1852年2月23日) - 1783年1月25日、第6代カーベリー男爵ジョン・エヴァンス=フリーク(1765年11月11日 – 1845年5月12日)と結婚[3][4]
- ウィリアム・ジョン(1767年11月16日 – 1836年1月15日) - 1798年5月30日、キャロライン・ヘイルズ(Caroline Hales、1836年6月7日没、第4代準男爵サー・トマス・ピム・ヘイルズの娘)と結婚、子供あり。第4代アラン伯爵フィリップ・ヨーク・ゴアの父[3]
- ジェーン(1831年没) - ダドリー・ロフタス(Dudley Loftus)と結婚[3]
1771年、アン・ナイト(Anne Knight、1779年10月以前没、ブーリン・ナイトの娘)と再婚[1]、1男2女をもうけた[3]。
- ジョージ(1774年2月 – 1844年8月27日) - 聖職者。1771年、アン・バーローズ(Anne Burrowes、1819年9月16日没、ロバート・バーローズの娘)と結婚、子供あり。1820年2月3日、ソフィア・リブトン(Sophia Ribton、1821年12月没、第2代準男爵サー・ジョージ・リブトンの娘)と再婚、子供あり。1823年6月、マリア・バンベリー(Maria Bunbury、1856年2月22日没、トマス・バンベリーの未亡人)と再婚、子供なし[3]
- マリア・ルイーザ(1827年3月6日没) - 1800年1月19日、ジェームズ・ノックス=ゴア(James Knox-Gore、1818年10月21日没)と結婚、子供あり[3]
- エレノア(1812年3月25日没) - 1801年5月25日、フレデリック・キャヴェンディッシュ(1777年 – 1856年3月10日、第2代準男爵サー・ヘンリー・キャヴェンディッシュの息子)と結婚、子供あり[3]
1781年2月、エリザベス・アンダーウッド(Elizabeth Underwood、1829年6月5日没、リチャード・アンダーウッドの娘)と再婚[1]、4男3女をもうけた[3]。
- サンダース(1783年 – 1813年[3])
- セシリア・レティシア(1785年ごろ – 1873年8月1日) - 1815年5月14日、サー・ジョージ・バギン(Sir George Buggin、1825年4月12日没)と結婚。1831年5月2日、王族のサセックス公爵オーガスタス・フレデリックと再婚。1840年4月10日、インヴァネス女公爵に叙爵[3]
- ジョン(1814年没[3])
- チャールズ・スティーブン(1793年12月26日 – 1869年9月4日) - 1824年5月13日、サラ・レイチェル・フレイザー(Sarah Rachel Fraser、1880年10月17日没、ジェームズ・フレイザーの娘)と結婚、子供あり[3]
- エドワード(1797年 – 1879年1月10日) - 海軍軍人。1822年10月28日、メアリー・アン・ダグラス(Mary Anne Douglas、1880年8月4日没)と結婚、子供あり[3]
- イザベラ(1838年11月30日没) - 1816年3月2日、チャールズ・ダグラス(Charles Douglas、1791年3月10日 – 1857年1月28日、ジョン・ダグラスの息子)と結婚、子供あり[3]
- ジュリア(1800年ごろ – 1891年8月21日) - 1821年12月23日、ロバート・マナーズ・ロックウッド(Robert Manners Lockwood)と結婚、子供あり[3]
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 227–228.
- ^ "Biographies of Members of the Irish Parliament 1692-1800". Ulster Historical Foundation (英語). 2020年4月17日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s Mosley, Charles, ed. (1999). Burke’s Peerage and Baronetage (英語). Vol. I (106th ed.). London: Burke's Peerage Limited. pp. 111–114. ISBN 2-940085-02-1。
- ^ Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 11.
アイルランド議会 | ||
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先代 サー・アーサー・ゴア準男爵 ジョン・フォリオット |
庶民院議員(ドニゴール・バラ選挙区選出) 1759年 – 1760年 同職:ジョン・フォリオット |
次代 ロバート・ドイン ジョン・ノックス |
先代 シーザー・コルクラウ アンドリュー・ラム |
庶民院議員(ウェックスフォード・カウンティ選挙区選出) 1761年 – 1768年 同職:ジョン・フォリオット 1761年 – 1766年 ヴェジー・コルクラウ 1766年 – 1768年 |
次代 ヴェジー・コルクラウ ヘンリー・ロフタス閣下 |
先代 ロバート・ドイン ジョン・ノックス |
庶民院議員(ドニゴール・バラ選挙区選出) 1768年 – 1773年 同職:リチャード・ゴア |
次代 バリー・イェルヴァートン リチャード・ゴア |
名誉職 | ||
先代 ジェームズ・ストップフォード |
ウェックスフォード県長官 1757年 |
次代 ジョン・ハットン |
先代 ジョン・ノックス |
メイヨー県長官 1765年 |
不明 次の知られた在位者: ニール・オドンネル
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アイルランドの爵位 | ||
先代 アーサー・ゴア |
アラン伯爵 1773年 – 1809年 |
次代 アーサー・サンダース・ゴア |