アルベルト・ダ・ジュッサーノ

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レニャーノ市にある「レニャーノの戦士像」

アルベルト・ダ・ジュッサーノ (Alberto da Giussano) は、12世紀に北イタリアのロンバルディア同盟軍を率い、レニャーノの戦いにおいて神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世バルバロッサに勝利したとされる伝説的な人物。

ロンバルディアの英雄とされ、リソルジメント期にはイタリア解放の象徴とされた。

史実と伝説[編集]

ミラノ近郊ジュッサーノ出身とされ、名についてはアルベルト・ディ・ジュッサーノ(Alberto di Giussano) とも表記される。アルベルト・ダ・ジュッサーノについて伝統的に語られてきたことは、おそらくは14世紀ミラノの年代記作者たちによって生み出されたものである。それによれば、アルベルトはレニャーノの戦い1176年)においてミラノのシンボルとなる神聖な戦車「カロッキオ」 (Carroccioを防衛するための「死の中隊」 (Company of Deathを組織したとされる。

しかしながら史実において、フリードリヒ1世との戦いでロンバルディア同盟軍を率いたコンドッティエーレは、グイド・ダ・ランドリアーノ (Guido da Landrianoであった。

史料上、アルベルト・ダ・ジュッサーノという人物の名が初めて確認できるのは1196年のことである。

記念[編集]

機甲旅団「レニャーノ」のエンブレム

ジョズエ・カルドゥッチの詩『Della Canzone di Legnano』(1879年)にも登場する。

1900年にはレニャーノに「レニャーノの戦士像」 (it:Monumento al Guerriero di Legnanoが建立された。作者はエンリコ・ブッティ (it:Enrico Butti。しばしばアルベルト・ディ・ジュッサーノ像と見なされる。

イタリア王国海軍のコンドッティエーレ級軽巡洋艦「アルベルト・ディ・ジュッサーノ」にその名前が使用されている。また、イタリア陸軍にあった機甲旅団「レニャーノ」 (it:Brigata meccanizzata "Legnano"は、エンブレムに「レニャーノの戦士像」のイメージを用いた。

イタリア北部の地域政党である北部同盟も、そのシンボルとしてレニャーノの「レニャーノの戦士像」のイメージを用いている。

このほか、「レニャーノの戦士像」のイメージはさまざまな組織で使われている。イタリアの自転車メーカー・レニャーノ社 (it:Legnano (azienda)のエンブレム、レニャーノのプロサッカークラブ・ACレニャーノのエンブレムなどである。

大衆文化において[編集]

出典[編集]

  • Troisi, Francesco (May 2010). “Quel 29 Maggio del 1176” (Italian). Medioevo: pp. 18–29.