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アルダシール2世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アルダシール2世
ペルシア君主
在位 379年 - 383年

王朝 サーサーン朝
父親 ホルミズド2世
宗教 ゾロアスター教
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アルダシール2世Ardashir II, 生没年不詳)は、サーサーン朝ペルシア帝国の第10代君主(シャーハーン・シャー、在位:379年 - 383年)。先々代ホルミズド2世の息子で、先代シャープール2世の兄弟であると言われる。サーサーン朝の君主となる前はアディアベネの王であった。

概要

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サアーリビー(ペルシアの諸王の歴史)とフィルドゥシーの「王の書」によると、シャープール2世は1歳年下の弟を次の君主に指名し、幼い息子が成人したときに譲位するように遺言したとある。事実そのように王位は継承された。

貴族たちの権勢はシャープール2世の時代に既に強くなっており、アルダシール2世は4年で廃位され、シャープール3世に譲位した。

アルメニアでは親ローマ派と親ペルシア派の対立が増し、アルサケス王家の血を引くマニュエルが王パーラの未亡人を擁立して、自身が筆頭司令官となりペルシアの軍隊を駐留させた。しかしマニュエルは虚報によってこれを叩いてしまい、混乱の最中に自身も死ぬ。緩衝地帯の混乱は両国にとっても好ましい状況ではなく、テオドシウス1世とアルダシールの間に平和条約が結ばれた。アルダシール2世は383年には退位したため、実際には384年にシャープール3世との間で結ばれた。

外部リンク

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先代
シャープール2世
サーサーン朝の君主
第10代:379年 - 383年
次代
シャープール3世