アモレビエタ=エチャノ

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Amorebieta-Etxano

  


 バスク州
 ビスカヤ県
コマルカ ドゥランゲサード
面積 58.46 km²
標高 65m
人口 18,650 人 (2013)
人口密度 319.02 人/km²
Amorebieta-Etxanoの位置(スペイン内)
Amorebieta-Etxano
Amorebieta-Etxano
スペイン内アモレビエタ=エチャノの位置
Amorebieta-Etxanoの位置(ビスカヤ県内)
Amorebieta-Etxano
Amorebieta-Etxano
ビスカヤ県内アモレビエタ=エチャノの位置

北緯43度13分09秒 西経2度44分03秒 / 北緯43.21917度 西経2.73417度 / 43.21917; -2.73417座標: 北緯43度13分09秒 西経2度44分03秒 / 北緯43.21917度 西経2.73417度 / 43.21917; -2.73417

アモレビエタ天然ガス発電所

アモレビエタ=エチャノ(バスク語: Amorebieta-Etxano, スペイン語: Amorebieta-Echano)またはソルノツァ(バスク語: Zornotza)は、スペインバスク自治州ビスカヤ県ムニシピオ(基礎自治体)。コマルカ(郡)としてはドゥランゲサードに含まれる。ビルバオ都市圏には含まれないが、ビルバオ衛星都市であるとされる。かつてはアモレビエタとエチャノというそれぞれ独立した自治体だった。

歴史[編集]

1872年5月24日、ベラウステギゴイティア邸で第三次カルリスタ戦争の休戦協定が調印された。この邸宅はコンベニオ通り(協定通り)にあり、現在は改装されてホテルとして使用されている。1936年に勃発したスペイン内戦中にはエミリオ・モラ将軍を中心とする反乱軍によって町が破壊され、近隣のビスカルギ山では反乱軍と人民戦線軍の間で激しい戦闘が行われた。1940年以降に町が修復されて現在の姿となっている。

人口[編集]

アモレビエタ=エチャノの人口推移 1960-2011
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[1]、1996年 - [2]

政治[編集]

アモレビエタ=エチャノ
政党 2015 2011 2007
得票率 議席 得票率 議席 議席
バスク民族主義党 (EAJ-PNV) 42.79% 8 41.12% 8 9
エウスカル・エリア・ビルドゥ 30.51% 6 - - -
イリ・エキメナ (HE) 14.36% 6 - - -
ビルドゥ - - 34.51 % 7 0
バスク社会党 (PSE-EE) 8.62% 1 11.14 % 2 4
国民党 (PP) 2.43% 0 4.77 % 0 1
バスク統一左翼 (EB-B) - - 4.09 % 0 1
アララール - - 2.94 % 0 2
出典 : スペイン内務省[3]

経済[編集]

2005年には日本の大阪ガスとアイルランド国営のアイルランド電力局が共同出資したアモレビエタ天然ガス発電所が自治体内に建設され、大阪ガスは50%の株式を保有していたが[4][5]、大阪ガスが保有していた株式は2014年にアメリカの投資会社に売却された[6]

スポーツ[編集]

1978年には世界選手権自転車競技大会シクロクロスが、1993年には世界クロスカントリー選手権大会がアモレビエタ=エチャノで開催された。毎年4月にはUCIヨーロッパツアーに組み込まれる自転車レースのクラシカ・プリマベーラが開催される。アモレビエタ=エチャノは緑豊かで観光客も訪れる。

出身人物[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]