アジャム

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アジャム (عجم ‘ajam) は、アラビア語アラブ人以外の異民族を指すのに用いる単語のひとつである。主にイラン(ペルシア)人のことをさして使われている。

概要[編集]

「ペルシア湾」ではなく「アジャム湾」と記されている
ایران-فارس
نقشه پرشیا
Keshvar ajam- letter from ottoman empire to persian empire mohammad shah

原義は「理解することのできない言葉」を意味する(ギリシア語における「バルバロイ」とほぼ同じ)。7世紀クルアーン(コーラン)において「アラブ人の言葉」「アラビア語」を意味するアラビー (‘arabī) に対して「異人の言葉」「外国語」を意味するアジャミー (‘ajamī) が用いられており、これによってアラブ人の話すクルアーンの言葉であるアラビア語に対し、アラビア語以外を話す異民族の言語という語義が定着した。

イスラム帝国サーサーン朝を滅ぼして中世ペルシア語を話していたこの地域の人々を支配下に組み入れると、アジャムとアジャミーはアラブ人にとって支配地域内で最大多数派の異族となった旧サーサーン朝治下の人々とその言葉、あるいは彼らの住むイラン方面の地域を指すようになった。アラブの人々とアジャムの人々が接しあって暮らしていたイラン・イラクの周辺では「アラブ」と「アジャム」の二項対立的な地域観が生まれ、セルジューク朝の時代にはイラン・イラク一帯のうち、メソポタミア方面を「イラーキ・アラブ」(アラブのイラク)、イラン高原西部を「イラーキ・アジャム」(アジャムのイラク)とする地域概念が一般化している。

こうしたイスラム時代にアラビア語でアジャムと呼ばれた人々が、一般的にこの時代のイランの歴史を叙述する際に「ペルシア人」といわれている人々である。アジャムの人々すなわちペルシア人マワーリー制度などを通じて徐々にイスラムに改宗し、文字語彙にアラビア語を取り込んだ近世ペルシア語を発達させていった。

イスラム教を取り入れ、アラビア語の言葉遣いを身につけたペルシア人たちはアジャムという他称にかわり、イラン人(イーラーニー)、タジク人(タージーク)、ペルシア人(ファールスィー)といった名前を自称するようになっていった。すなわち、現在の中央アジアタジク人や、イランのペルシア人に繋がっていくとみなされている人々である。

この他、アンダルスマグリブイフリーキヤなどではアラブ化していないヨーロッパ人やベルベル人などに対しアジャムという名称が使われた。

一方、アラビア語のアジャムという言葉は「理解することのできない言葉を話す人」という意味から「言葉を知らない」とか「馬鹿」といった意味あいが与えられ、時には侮蔑的に使われることもあるのでペルシア人たちに好まれず、現在はほとんど使われることはなくなった。