すっとびボール
すっとびボール[1][2][注釈 1]、多段式垂直衝突球[2](ただんしきすいちょくしょうとつきゅう)、またはガリレオ砲(ガリレオほう、英: Galilean cannon)、ボールピラミッド(Ball pyramid)とは、物理の演示実験および科学教材のことである。質量の異なる弾性体のボール2個以上を用い、質量の大きい順に下から上に重ねて自由落下させたときに、一番上のボールが落下を開始した位置より高く跳ね上がる現象がおきる[3][注釈 2]。
概要
[編集]物体の衝突現象の演示実験としてニュートンのゆりかごが知られている[3][5]。これは連続衝突や運動量保存の法則を視覚的に観察することができる装置である[3]。このため理科教育の場で、運動エネルギーや運動量について興味を持たせるために有効な教材である[6]。
一方、すっとびボールは、よりダイナミックな衝突の動きと意外性を観察者側に与えることができる装置である[3]。単純に大小2個のボールを上下に重ねて自由落下させると効果を確認することができる。
より反発効果を高めたい装置をつくる場合、反発係数が比較的大きいスーパーボールで質量の異なるものを3個以上を用意する。一番大きいボールに針金など細い棒を刺し、他のボールには孔を貫通させたボールにこの棒を通したものを用意する[4][注釈 3]。これを大ボールを下向きに落下させると、一番上段にある小さなボールが落下速度よりも速い速度で飛び出し、落下開始位置より高くまで跳ね上がる現象を観察することができる[4][7]。
ボールを加工しなくても、紙などで小ボールの入る円筒をつくり、これを大ボールに接着テープなどで取り付けて「すっとびボール」を作れば[8]、ボールを破壊することなく実験ができる。
理論
[編集]ボール2段の場合
[編集]ここで、大ボールと小ボールの2段の場合を考える。大ボールの質量を、小ボールの質量を、大ボールと小ボールが床に衝突する直前の速度を、床と大ボールが衝突した後の大ボールの速度を、大ボールと床の反発係数をとすると、以下の関係が成り立つ。
次に床と大ボールが衝突した直後に速度で跳ね上がった大ボールと、速度で落下する小ボールが衝突する。衝突後の大ボールの速度を、小ボールの速度をとする。運動量保存の法則から以下の関係が成り立つ。
また大ボールと小ボールの反発係数をとすると、
とについて整理すると、
ここで理想的にすべての衝突で完全弾性衝突が起きるとすると、反発係数がとなり、以下の式が導くことができる。
(1-1)
(1-2)
、すなわち大ボールの質量が小ボールの質量の3倍であるとき、以下が成り立つ[9]。
,
つまり「大ボールが小ボールの3倍の質量のとき、大ボールは静止し、上にある小ボールは2倍の速さで跳ね上がる」ということになる[9]。また初速0で落下させ、空気抵抗などを無視できるとすると小ボールは落下開始位置の4倍の高さまで跳ね上がる[9]。
さらに小ボールが最大の速度を得るには、大ボールに比べて小ボールの質量が十分小さいとき、つまりのとき、式(1-1)と式(1-2)に適用すると、
,
となり、小ボールの跳ね返り後の速度は衝突直前の速度の3倍、初速0で落下させ空気抵抗などを無視できるとすると小ボールは落下開始位置の9倍の高さまで跳ね上がる[9]。
ボールn段の場合
[編集]ボールn段の場合、下から順番にとし、各ボールの質量について以下の関係があるとする。
ここですべてのボールの衝突が完全弾性衝突(反発係数がすべて)であると仮定し、各ボールの質量比について以下の式を満たすとする。
(ただし)
このとき、すっとびボールのセットを落下させて床面に衝突させる。また床面衝突直前の速度をとする。衝突後、最上段の以外のボールが静止し、最上段のボールは、の速度で跳ね上がり、落下開始位置の倍の高さまで跳ね上がる[9][10]。
研究史
[編集]ホイヘンスの衝突論
[編集]17世紀の物理学者、クリスティアーン・ホイヘンスが物体の衝突に関する考察を行っており、ホイヘンスの死後、1703年に『衝突による物体の運動について』として発表された[11]。書のなかで、すっとびボールと同じく球体の多段衝突の原理と跳ね返り速度が最大になる条件を示している[11]。ホイヘンスの時代には、スーパーボールのような高弾性の球がなかったため、すっとびボールのような実験が登場することはなかったと考えられる[1]。
アメリカでの研究
[編集]1968年から1972年にかけてアメリカ物理教育学会誌に4つの論文が発表されており、これらがすっとびボールのルーツといえる[9]。
特に、スーパーボールをつかった物は、南カリフォルニア大学のG.ハーターなどによる研究が最初だと考えられる[12]。G.ハーターが行っていた物理の授業中に、学生がスーパーボールにボールペンを刺して遊んでいたところ、これを床に落としたときに刺してあったボールペンが高く飛び跳ねることがおきた[13]。この現象に着目したG.ハーターが論文としてまとめ、「Velocity Amplification in Collision Experiments Involving Superballs(スーパーボールを含む衝突実験における速度の増幅)」というタイトルで1971年に公表された[14]。
日本での研究
[編集]日本においては、神奈川県の公立高校教諭であった塚本栄世が自他共に認める第一人者である[9]。塚本栄世は1980年代から1990年代前半にかけて考察をすすめ、1990年には「東レ理科教育賞」を受賞している[9][注釈 4]。
発展実験
[編集]ボールの種類を変えた実験
[編集]ボールの材質を高弾性のスーパーボールのみではなく、金属や硬質プラスチックなどを使っても一番上のボールが高く跳ね上がる現象はおきる[15]。さまざまなボールの組み合わせで跳ね上がる高さを比較するのも面白い。例えば、一番上にピンポン玉、中間および下段にスーパーボールを用いた3段のすっとびボールの場合、スーパーボールの大きさをうまく選べば元の高さの50倍までピンポン玉が跳ね上がったという報告がある[16]。
ばねを使った装置
[編集]スーパーボールはそれ自体に弾性をもっているため、単に実験するだけの場合では比較的簡単であるが、さまざまに条件を変えて実験をするためには工夫が必要となる。そこで愛知・三重物理サークルでは、ばねを使った装置を提案した[17]。
地面に対して垂直に立つように固定したパイプを用意し、そこにペットボトルの口の部分を切り取ってつなぎ合わせた大小のボール球を2個と、ボール球の間と下段のボール球の下の2箇所にばねを通す[17]。全体を持ち上げて落下させると上段のボール球が飛び上がる[17]。ばね定数の異なるもの、ボール球の質量、中間または下段にいれるばねの数などを変えると上段のボール球の飛び上がり方が変化する[17]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 塚本浩司、すっとびボールの研究史 2001, p. 541.
- ^ a b すっとびボール(理科.com).
- ^ a b c d 塚本英世、質量の異なる弾性体の連続衝突に関する実験教材の工夫 2001, p. 34.
- ^ a b c 塚本浩司、すっとびボールの研究史 2001, p. 537.
- ^ 竹谷、運動エネルギーと運動量との概念分化の試み 2018, p. 59.
- ^ 竹谷、運動エネルギーと運動量との概念分化の試み 2018, p. 60.
- ^ 成見、自作すっとびボールが高く飛ぶ時と飛ばない時の理由 2015, p. 116.
- ^ 100円ショップで大実験! 2000, pp. 178–179.
- ^ a b c d e f g h 塚本浩司、すっとびボールの研究史 2001, p. 538.
- ^ Harter, Velocity amplification in collision experiments involving superballs 1971, p. 663.
- ^ a b 塚本浩司、すっとびボールの研究史 2001, p. 540.
- ^ 衝突の力学 2005, p. 129.
- ^ 衝突の力学 2005, p. 130.
- ^ Harter, Velocity amplification in collision experiments involving superballs 1971.
- ^ 塚本英世、質量の異なる弾性体の連続衝突に関する実験教材の工夫 2001, p. 35.
- ^ ハテ・なぜだろうの物理学 1979, pp. 53–54.
- ^ a b c d いきいき物理わくわく実験3 2011, pp. 104–105.
参考文献
[編集]論文・解説
[編集]- Harter, William G. (1971). “Velocity amplification in collision experiments involving superballs.”. American Journal of Physics 39 (6): 656-663.
- 横山雅彦「ホイヘンスの衝突論」『科学史研究』第10巻第97号、岩波書店、1971年、24-33頁、NAID 10020793264。
- 塚本栄世「27a-PSB-8 質量の異なる弾性体の連続衝突に関する実験教材の工夫」『年会講演予稿集』第47.4巻セッションID: 27a-PSB-8、日本物理学会、1992年、255頁、doi:10.11316/jpsgaiyod.47.4.0_255_2。
- 塚本浩司「すっとびボールの研究史」『物理教育』第49巻第6号、日本物理教育学会、2001年、537-541頁、NAID 110007495807。
- 成見知恵「自作すっとびボールが高く飛ぶ時と飛ばない時の理由(私の工夫・私の実践)」『物理教育』第63巻第2号、日本物理教育学会、2015年、116-119頁、doi:10.20653/pesj.63.2_116。
- 瀧本家康「「すっとびボール」を用いた運動量保存則の授業実践とその教材有用性」『物理教育』第66巻第4号、日本物理教育学会、2018年、258-261頁、doi:10.20653/pesj.66.4_258。
- 竹谷尚人「運動エネルギーと運動量との概念分化の試み : ニュートンのゆりかごを使った授業」『授業実践開発研究』第11巻、千葉大学教育学部授業実践開発研究室、2018年、59-68頁、NAID 120006454595。
書籍
[編集]- J.ウォーカー『ハテ・なぜだろうの物理学』培風館、1979年。ISBN 4563020060。
- Vicki Cobb、Kathy Darling『科学でゲーム・できっこないさ』さ・え・ら書房、1987年。ISBN 4378038323。
- 大山光晴『100円ショップで大実験!』学習研究社、2000年。ISBN 4054012485。
- 板倉聖宣、塚本浩司『衝突の力学』 3巻、仮説社〈サイエンスシアターシリーズ〉、2005年。ISBN 4-7735-0184-7。
- 愛知・三重物理サークル『いきいき物理わくわく実験3』日本評論社、2011年。ISBN 978-4-535-78431-4。
外部リンク
[編集]- “すっとびボール”. 理科.com. 2019年8月18日閲覧。(日本語)