お化けを守る会

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お化けを守る会(おばけをまもるかい)は、お化けについて語る会である。かつて日本にあり、東京や青森県弘前市にそれぞれ存在した。

平野威馬雄主宰の会[編集]

仏文学者、詩人の平野威馬雄が主宰し、お化けについて語り合う会の名称である。幽霊、虫の知らせなどの世にも不思議なことを、文句なしに愛好する人になら、誰でも会員資格がある、とされている。この会の目的は「死後の生存を、心霊なり、お化けなりを通して、確認すること」であった。会には、不文律が2つあり、「の存在を、根拠なく否定しないこと」、「霊に出会ったら、死後の世界について質問してもよいが、まず相手の話を驚かずに聞いてあげること」となっている[1][2]

お化けを守る会の会員には、水木しげる横尾忠則、イラストレーターの和田誠なども参加した。この会は、平野氏の存命中は、年に数回の例会が開かれていたという。また、十人以上のメンバーが集まれば、出張例会もおこなっていた[1][2]

教育学者の板倉聖宣は、平野威馬雄による「お化けを守る会」が活動した時代背景について、以下の様に評している[3]

今日の日本では、妖怪とか迷信などというものは、ごく一部の無知蒙昧な人々だけが囚われるもので、大部分の日本人にとってはすでに卒業済みのものにも思える。そう考えると、今さらそれを否定することは「大人気ない」「やぼったい」ように思われてしまう。じっさい、故平野威馬雄氏などは〈お化けを守る会〉などという会を組織して、お化けを退治しようとする人々から守ろうという動きを見せた。しかし、これまでの日本の歴史を見る限り、妖怪・迷信は不滅であった。それは、とうてい「馬鹿げており、すでに卒業済み」などと言って済ませられない状態にあると言っていいだろう。 — (井上円了の妖怪学の歴史的意義, p. 431)

弘前市[編集]

青森県弘前市にも「お化けを守る会」はあった。蘭繁之が発足させ、平野威馬雄主宰の会と同じ様な、活発な活動をした。青森という地域がら、”恐山イタコの口よせを聞きに行く会”もあった[4]

青森県立郷土館の説明では、「お化けを守る会」は、昭和50年代に、「せめてお化けの出る情緒ある世の中にしたいもの」として、弘前市で有志の会として結成され、その活動内容は、妖怪・幽霊画の展覧会、怪談を聞く会、民間信仰の調査研究、会誌の発行などがあり、妖怪たちを文化のひとつとして楽しむ会であった[5]

2014年にはかつて「お化けを守る会」が行っていた幽霊画の展示を復活させたギャラリー(展示会)もあった[6]

脚注[編集]

  1. ^ a b 平野威馬雄 『恐怖夜話 おばけの本』 廣済堂出版、1975年、ISBN 978-4-331-65105-6
  2. ^ a b 平野威馬雄『お化けの住所録』 二見書房、1991年、ISBN 978-4-576-00347-4
  3. ^ 板倉聖宣「井上円了の妖怪学の歴史的意義」『井上円了選集』第21巻、2001年5月、425-448頁、CRID 1050845763408174464NAID 120005299290 
  4. ^ 特別展『妖怪展 -神・もののけ・祈り-(PDF) 2009年8月、青森県立郷土館, 東奥日報社 - こまきのいせきものがたり
  5. ^ 「妖怪展」展示解説 第5回 「異界を探る -平尾魯仙から「お化けを守る会」へ-」(最終回) 2009-10-03、学芸主査・小山隆秀、青森県立郷土館ニュース
  6. ^ 弘前で「ゆうれい展」-幽霊画40点以上、「目が開いた」うわさの断首画も 2014年08月14日 弘前経済新聞

関連文献[編集]