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'''白'''(読みはクロ)は1980年代に活動した日本のパンクロックバンド。バンド名は白と書いてクロと読む<ref name="レコードコレクターズ2006-2">[[#レコードコレクターズ2006-2|レコードコレクターズ 2006年2月]]</ref>。MANZI卍(Bass)、HIDE(Gt.)によって結成されMORIKAWA(Vo)、SUGI(Dr)が加わり4人で活動。のちベースがクチハラに代わる<ref name="ザ・ロッカーズ1986">[[#ザ・ロッカーズ1986|ザ・ロッカーズ 1986]]</ref>。主に北九州で活動した<ref name="Blue JUG">[http://www.blue-jug.com/rock/band/kuro/index.html Blue JUG福岡ロック百科/Kuro(白(クロ))]</ref> 。暴力的なステージで知られ、またその暴力性ゆえに活動は断続的に行われていた<ref name="ザ・ロッカーズ1986"/>。 |
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1981年、地元が下関のHIDEと卍(manji)によって結成。MORIKAWAとスギが加入し7月より本格的に活動を始める。下関では活動できる場所が少なくライブハウスに限らずデパートの屋上や広場などでも[[ギグ]]を行っていた。四人は定職も無く暴走族と喧嘩をしたりブラブラとすごしていて楽器も持ったことが無かったが、バンドを始めて自然にパンクロックとなっていった。その暴力的なステージは問題になり、また本格的に活動を始めたばかりの1981年9月ギターのHIDEが暴走族との喧嘩で骨折して入院、白は2ヶ月活動ができなくなる。その後もその暴力性から多くのライブハウスで活動ができなくなり、またメンバーが問題を繰り返してそのたびに活動が停止することを繰り返す。1982年には[[アナーキー (バンド)|アナーキー]]や[[ザ・スターリン]]のサポートも行う。1983年ファースト[[ソノシート]]『白』を発売、1984年にはミニLP『WHO THE HELPLESS』を発売する。いずれのレーベルはBlue Jug<ref name="ザ・ロッカーズ1986"/>。音楽評論家の行川和彦によると『アルバム音源も暴力的な雰囲気が漂っている。』とのこと<ref name="レコードコレクターズ2006-2"/>。白はその間関西でもギグを行うようになっている。1984年12月卍とスギが脱退。1985年7月にはベースとしてクチハラが加入。1985年9月には東京進出が決まるが東京ギグの1週間前にクチハラの事故で東京での出演は中止となる。その後活動は停止するが、1986年 |
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1981年、地元が下関のHIDEと卍(manji)によって結成。MORIKAWAとスギが加入し7月より本格的に活動を始める。下関では活動できる場所が少なく |
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MORIKAWA(Vo)、クチハラ(Bass)、HIDE(Gt.)およびヘルプとして参加のSUGI(Dr)で活動再開<ref name="ザ・ロッカーズ1986"/>。その後の活動は不活発ながら、1996年10年ぶりのレコーディングとなる7インチEP『REVIVAL OF DEATH』を発売。またSS RECORDINGS やKINGS WORLDなどのレーベルからリイシューCDが発売されている<ref>[http://diskunion.net/punk/ct/list/0/19770 DiskUnion/PUNK ONLINE SHOP/白(クロ)]</ref>。 |
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==メンバ== |
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2016年3月13日 (日) 06:09時点における版
白(読みはクロ)は1980年代に活動した日本のパンクロックバンド。バンド名は白と書いてクロと読む[1]。MANZI卍(Bass)、HIDE(Gt.)によって結成されMORIKAWA(Vo)、SUGI(Dr)が加わり4人で活動。のちベースがクチハラに代わる[2]。主に北九州で活動した[3] 。暴力的なステージで知られ、またその暴力性ゆえに活動は断続的に行われていた[2]。
概要
1981年、地元が下関のHIDEと卍(manji)によって結成。MORIKAWAとスギが加入し7月より本格的に活動を始める。下関では活動できる場所が少なくライブハウスに限らずデパートの屋上や広場などでもギグを行っていた。四人は定職も無く暴走族と喧嘩をしたりブラブラとすごしていて楽器も持ったことが無かったが、バンドを始めて自然にパンクロックとなっていった。その暴力的なステージは問題になり、また本格的に活動を始めたばかりの1981年9月ギターのHIDEが暴走族との喧嘩で骨折して入院、白は2ヶ月活動ができなくなる。その後もその暴力性から多くのライブハウスで活動ができなくなり、またメンバーが問題を繰り返してそのたびに活動が停止することを繰り返す。1982年にはアナーキーやザ・スターリンのサポートも行う。1983年ファーストソノシート『白』を発売、1984年にはミニLP『WHO THE HELPLESS』を発売する。いずれのレーベルはBlue Jug[2]。音楽評論家の行川和彦によると『アルバム音源も暴力的な雰囲気が漂っている。』とのこと[1]。白はその間関西でもギグを行うようになっている。1984年12月卍とスギが脱退。1985年7月にはベースとしてクチハラが加入。1985年9月には東京進出が決まるが東京ギグの1週間前にクチハラの事故で東京での出演は中止となる。その後活動は停止するが、1986年 MORIKAWA(Vo)、クチハラ(Bass)、HIDE(Gt.)およびヘルプとして参加のSUGI(Dr)で活動再開[2]。その後の活動は不活発ながら、1996年10年ぶりのレコーディングとなる7インチEP『REVIVAL OF DEATH』を発売。またSS RECORDINGS やKINGS WORLDなどのレーベルからリイシューCDが発売されている[4]。
メンバ
1981年時
- Vocal:MORIKAWA
- Guitar:HIDE
- Bass:MANZI卍(
- Drums:SUGI
1986年
- Vocal:MORIKAWA
- Guitar:HIDE
- Bass:クチハラ
- Drums:SUGI
ディスコグラフィー
ソノシート
- 『白』BLUE JUG 番号なし 1983年
シングル
- 『REVIVAL OF DEATH』7インチEP 1996
- 『REVIVAL OF DEATH』CD 2004 KINGS WORLD 上記のCD化作
アルバム
- 『WHO THE HELPLESS』(ミニLPレコード)BLUE JUG BJR-001 1984年
- 『WHO THE HELPLESS+10 TRACKS』(1984年のミニLPに10曲を加えたリイシューCD) SS RECORDINGS 2005年
- 『2.5AD 1984 LIVE』CD 2004 KINGS WORLD 1984年のライブ音源をCD化
ビデオ
- 『1985.8.15 Gig』 2004 KINGS WORLD
出典
参考文献
- 「松島ひかる「白(クロ)」『ザ・ロッカーズ 日本ロックバンド完全カタログ』宝島社、1986年、pp.88-89」。
- 「『レコードコレクターズ』2006年2月号、ミュージック・マガジン社、巻末リイシューアルバムガイドp.38(本文38ページではなく、巻末付録に本体とは別に割り振られたリイシューアルバムガイド38ページ)」。