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'''リアルIRA'''('''the Real Irish Republican Army''', '''Real IRA''', '''RIRA''')は[[アイルランド]]の民族主義組織である[[アイルランド共和軍]](IRA)の分派の一つ。日本語では"真のIRA"とも呼ばれる。
'''リアルIRA'''('''the Real Irish Republican Army''', '''Real IRA''', '''RIRA''')は[[アイルランド]]の民族主義過激派武装組織である[[アイルランド共和軍]](IRA)の分派の一つ。日本語では"真のIRA"とも呼ばれる。


声明文などではÓglaigh na hÉireann (アイルランド義勇軍) を名乗っているが、これは[[IRA暫定派]]などと同じ名称である。
[[北アイルランド]]では1960年代からIRAなどの[[ナショナリスト]]と[[ユニオニスト]]の間でテロが繰り返されてきた。この[[北アイルランド紛争]]を終結させるために、1997年[[IRA暫定派]]は停戦に合意したが、それに反対するメンバーがリアルIRAと呼ばれる組織を結成しテロ活動を継続させた。


==設立の経緯==
リアルIRAのメンバーは南[[アーマー州]]および[[デリー]]、[[ストラベーン]]出身者が中心となっている。初代の指導者はIRA暫定派の補給局長を務めた[[マイケル・マクケヴィット]]だが、現在は逮捕され懲役刑に処されている。結成の直後からリアルIRAはIRA暫定派が停戦前におこなっていたのと同様の手口でテロを繰り返した。しかしリアルIRAには密告者が潜入しており、1998年前半には[[アイルランド警察]]と[[ロイヤル・アルスター警察隊]](RUC)による指導者たちの逮捕が行われた。しかし同年の8月15日には[[オマー]]のショッピングセンターでの爆弾テロを決行し、29名の市民が死亡する惨事となった。この事件にはアイルランド中から非難の声があがり、多くのリアルIRAメンバーが組織を脱退した。
[[北アイルランド]]では1960年代からIRAなどの[[ナショナリスト]]過激派(リパブリカン)組織と、UDA、UVFなどの[[ユニオニスト]]過激派(ロイヤリスト)組織の攻撃・テロが繰り返されてきた。「[[北アイルランド紛争]]」と呼ばれるこの事態で最も多くの犠牲者を生じせしめたのが[[IRA暫定派]](俗に言う「IRA」)だが、英国政府や米国政府の働きかけなどもあり、[[1994年]]に停戦合意がなされた(後にIRAは停戦を破棄したが、[[1997年]]に最終的に停戦した)。しかし、停戦を「英国に対する妥協」とみなすIRA内強硬派が、1997年から1998年にかけてIRA暫定派から分派し、独自の新組織を立ち上げた。これが「リアルIRA」と呼ばれる組織である。組織の設立が正式に宣言されたのは、1998年5月である。


「リアルIRA」の名称は、道路を封鎖していたときに「お前たちは誰だ」と訊かれ、「IRAだ、真のIRAだ」と答えたことに由来するという<ref>Harnden, Toby (1999). Bandit Country. Hodder & Stoughton, pp. 429-431. ISBN 034071736X</ref>。
1997年1998年までのリアルIRAによるテロ事件には次のようなものがある:

組織の目的は、武装闘争によってアイルランド島から英国を放逐し、アイルランド島32州の統一を実現することである。

==活動==
リアルIRAは、結成の直後から、自動車爆弾での攻撃など、IRA暫定派が停戦前におこなっていたようなテロを繰り返した。1997年から1998年までのリアルIRAによるテロ事件には次のようなものがある:
*[[1997年]][[9月16日]] : アーマー州の[[マーケットヒル]]におけるRUC支局前で車爆弾が爆発
*[[1997年]][[9月16日]] : アーマー州の[[マーケットヒル]]におけるRUC支局前で車爆弾が爆発
*[[1998年]][[1月6日]] : [[ダウン州]][[バンドリッジ]]の中心部で車爆弾が爆発
*[[1998年]][[1月6日]] : [[ダウン州]][[バンドリッジ]]の中心部で車爆弾が爆発
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*[[1998年]][[8月15日]] : オマーのショッピング街で爆発 29名の市民が死亡、数百名が怪我をおった
*[[1998年]][[8月15日]] : オマーのショッピング街で爆発 29名の市民が死亡、数百名が怪我をおった


===オマー爆弾事件と休戦===
リアルIRAは1998年に一方的に休戦を発表したが、数年後に活動を再開した。[[ロンドン]]の[[MI6]]本部へと[[ロケット弾]]を発射し、さらにその一年後2001年3月1日には西ロンドンの[[英国放送協会|BBC]]前で車爆弾が爆発し7名の市民が怪我をおった。この爆発はBBCのクルーにより撮影され、ニュースで放映された。
彼らのテロで最大のものは、1998年8月15日の[[オマー]]爆弾テロ事件である。この地方都市の中心部に仕掛けられた自動車爆弾は、予告電話の文言の曖昧さも手伝って、土曜日に買い物などに来ていた一般市民や旅行者が避難する前に爆発し、幼児やスペイン人の学生を含む29名が死亡し<ref>[http://cain.ulst.ac.uk/events/omagh/dead.htm アルスター大学CAINデータベースより、オマー爆弾事件での犠牲者リスト (英文)]</ref>約220名が負傷するという、北アイルランド紛争でも最悪の惨事となった。この事件にはアイルランド中から非難の声があがり、多くのメンバーが組織を脱退した{{要出典}}。事件からおよそ3週間後の9月8日、リアルIRAは休戦を宣言した。

===活動再開===
[[2000年]]1月、リアルIRAはアイルランドの新聞「アイリッシュ・タイムズ」紙に声明を出し、2月には北アイルランドで武装闘争の活動を再開、同年6月には[[ロンドン]]のハマースミス橋に爆弾を仕掛け、戦線をイングランドに拡大した。同年9月にはテムズ川に面した[[MI6]]本部へ[[ロケット弾]]を発射、翌[[2001年]]3月4日にはロンドン西部の[[英国放送協会|BBC]]前に車爆弾を仕掛けた(市民1名が負傷)。この爆発はBBCのクルーにより撮影され、ニュースで放映されたことで世界的に注目された。同年4月にはロンドン北部ヘンドンの郵便物仕分け所に爆弾を仕掛けた(負傷者などなし)。5月には再度同じ場所に爆弾を仕掛け(通行人1名が軽傷)、8月3日には深夜のクラブ帰りの人たちが通りを歩いている時間帯に、ロンドン西部のイーリングで自動車爆弾を爆発させた(7名負傷)。また11月には[[バーミンガム]]の中心部に自動車爆弾を仕掛けたが、この爆弾は爆発せず、被害は特に生じなかった。

これ以後は、イングランドでの目だった武装活動はほとんど行なわれていないが、北アイルランドでの活動は継続されている。[[2007年]]11月には、北アイルランド北部の都市、[[ロンドンデリー|デリー(ロンドンデリー)]]などでの警官銃撃事件で犯行声明を出している。

==メンバー==
リアルIRAのメンバーは南[[アーマー州]]およびデリー、[[ストラベーン]]出身者が中心となっている。リアルIRAには密告者が潜入しており、1998年前半には[[アイルランド警察]]と[[ロイヤル・アルスター警察隊]](RUC)による指導者たちの逮捕が行われた。

暫定派から分派したときの指導者はIRA暫定派の補給局長を務めた[[マイケル・マクケヴィット]]だが、彼は[[2001年]]に逮捕され、2003年に[[アイルランド共和国]]で有罪判決を受けて懲役20年を宣告され、以来服役中であり、また、その後は刑務所の内と外での意見対立により組織を追放されたとされている。追放後、マクケヴィットとその支持者は別の団体を立ち上げている。

マイケル・マクケヴィットの夫人で、IRA暫定派のハンガーストライキで死亡したボビー・サンズの妹であるバーナデット・サンズ・マクケヴィットらが主導していた団体、「[[32州統治運動]]」は、リアルIRAの政治組織であると見なされている。なお、バーナデットは組織内の意見対立により、「32州統治運動」を離れている。

2005年にアイルランド共和国司法大臣[[マイケル・マクダウェル]]が述べたところによると、リアルIRAのメンバー数は150名ほど。<ref>[http://debates.oireachtas.ie/DDebate.aspx?F=DAL20050623.xml&Page=1&Ex=1487#N1487 2005年6月23日、アイルランド共和国国会の議事録(英文)]</ref>


<!--北アイルランド紛争の平和的解決を進めてきたアイルランドおよびイギリス政府にとってリアルIRAは大きな障害の一つとなっている。2004年12月に発生した[[ベルファスト]]における連続爆発事件は和平合意の一時停止の原因となってしまった。-->
これ以後組織の活動は目立って減少した。2003年秋には獄中の指導者が無条件の活動停止を訴えている。


なお、IRA暫定派の分派で「IRA」の名称を使っている組織としては、1986年に結成された[[コンティニュイティIRA]](CIRA)も存在する。報道や公式報告書などでは、リアルIRAやCIRAなどIRA暫定派の方針に反対して武装闘争活動を継続しているリパブリカン過激派をまとめて「非主流派リパブリカン (dissident republicans)」と呼ぶことが多い。
北アイルランド紛争の平和的解決を進めてきたアイルランドおよびイギリス政府にとってリアルIRAは大きな障害の一つとなっている。2004年12月に発生した[[ベルファスト]]における連続爆発事件は和平合意の一時停止の原因となってしまった。2005年にアイルランド共和国司法大臣[[マイケル・マクダウェル]]はリアルIRAには150名のメンバーが存在すると報告している。[http://debates.oireachtas.ie/DDebate.aspx?F=DAL20050623.xml&Node=H10-1#H10-1]


== 脚注 ==
IRA暫定派の分派としては1986年に結成された[[コンティニュイティIRA]]も存在する。[[32州統治運動]]は一般的にリアルIRAの政治組織であると見なされている。
<references/>


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==

2007年12月8日 (土) 02:18時点における版

リアルIRA(the Real Irish Republican Army, Real IRA, RIRA)はアイルランドの民族主義過激派武装組織であるアイルランド共和軍(IRA)の分派の一つ。日本語では"真のIRA"とも呼ばれる。

声明文などではÓglaigh na hÉireann (アイルランド義勇軍) を名乗っているが、これはIRA暫定派などと同じ名称である。

設立の経緯

北アイルランドでは1960年代からIRAなどのナショナリスト過激派(リパブリカン)組織と、UDA、UVFなどのユニオニスト過激派(ロイヤリスト)組織の攻撃・テロが繰り返されてきた。「北アイルランド紛争」と呼ばれるこの事態で最も多くの犠牲者を生じせしめたのがIRA暫定派(俗に言う「IRA」)だが、英国政府や米国政府の働きかけなどもあり、1994年に停戦合意がなされた(後にIRAは停戦を破棄したが、1997年に最終的に停戦した)。しかし、停戦を「英国に対する妥協」とみなすIRA内強硬派が、1997年から1998年にかけてIRA暫定派から分派し、独自の新組織を立ち上げた。これが「リアルIRA」と呼ばれる組織である。組織の設立が正式に宣言されたのは、1998年5月である。

「リアルIRA」の名称は、道路を封鎖していたときに「お前たちは誰だ」と訊かれ、「IRAだ、真のIRAだ」と答えたことに由来するという[1]

組織の目的は、武装闘争によってアイルランド島から英国を放逐し、アイルランド島32州の統一を実現することである。

活動

リアルIRAは、結成の直後から、自動車爆弾での攻撃など、IRA暫定派が停戦前におこなっていたようなテロを繰り返した。1997年から1998年までのリアルIRAによるテロ事件には次のようなものがある:

オマー爆弾事件と休戦

彼らのテロで最大のものは、1998年8月15日のオマー爆弾テロ事件である。この地方都市の中心部に仕掛けられた自動車爆弾は、予告電話の文言の曖昧さも手伝って、土曜日に買い物などに来ていた一般市民や旅行者が避難する前に爆発し、幼児やスペイン人の学生を含む29名が死亡し[2]約220名が負傷するという、北アイルランド紛争でも最悪の惨事となった。この事件にはアイルランド中から非難の声があがり、多くのメンバーが組織を脱退した[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。。事件からおよそ3週間後の9月8日、リアルIRAは休戦を宣言した。

活動再開

2000年1月、リアルIRAはアイルランドの新聞「アイリッシュ・タイムズ」紙に声明を出し、2月には北アイルランドで武装闘争の活動を再開、同年6月にはロンドンのハマースミス橋に爆弾を仕掛け、戦線をイングランドに拡大した。同年9月にはテムズ川に面したMI6本部へロケット弾を発射、翌2001年3月4日にはロンドン西部のBBC前に車爆弾を仕掛けた(市民1名が負傷)。この爆発はBBCのクルーにより撮影され、ニュースで放映されたことで世界的に注目された。同年4月にはロンドン北部ヘンドンの郵便物仕分け所に爆弾を仕掛けた(負傷者などなし)。5月には再度同じ場所に爆弾を仕掛け(通行人1名が軽傷)、8月3日には深夜のクラブ帰りの人たちが通りを歩いている時間帯に、ロンドン西部のイーリングで自動車爆弾を爆発させた(7名負傷)。また11月にはバーミンガムの中心部に自動車爆弾を仕掛けたが、この爆弾は爆発せず、被害は特に生じなかった。

これ以後は、イングランドでの目だった武装活動はほとんど行なわれていないが、北アイルランドでの活動は継続されている。2007年11月には、北アイルランド北部の都市、デリー(ロンドンデリー)などでの警官銃撃事件で犯行声明を出している。

メンバー

リアルIRAのメンバーは南アーマー州およびデリー、ストラベーン出身者が中心となっている。リアルIRAには密告者が潜入しており、1998年前半にはアイルランド警察ロイヤル・アルスター警察隊(RUC)による指導者たちの逮捕が行われた。

暫定派から分派したときの指導者はIRA暫定派の補給局長を務めたマイケル・マクケヴィットだが、彼は2001年に逮捕され、2003年にアイルランド共和国で有罪判決を受けて懲役20年を宣告され、以来服役中であり、また、その後は刑務所の内と外での意見対立により組織を追放されたとされている。追放後、マクケヴィットとその支持者は別の団体を立ち上げている。

マイケル・マクケヴィットの夫人で、IRA暫定派のハンガーストライキで死亡したボビー・サンズの妹であるバーナデット・サンズ・マクケヴィットらが主導していた団体、「32州統治運動」は、リアルIRAの政治組織であると見なされている。なお、バーナデットは組織内の意見対立により、「32州統治運動」を離れている。

2005年にアイルランド共和国司法大臣マイケル・マクダウェルが述べたところによると、リアルIRAのメンバー数は150名ほど。[3]


なお、IRA暫定派の分派で「IRA」の名称を使っている組織としては、1986年に結成されたコンティニュイティIRA(CIRA)も存在する。報道や公式報告書などでは、リアルIRAやCIRAなどIRA暫定派の方針に反対して武装闘争活動を継続しているリパブリカン過激派をまとめて「非主流派リパブリカン (dissident republicans)」と呼ぶことが多い。

脚注

  1. ^ Harnden, Toby (1999). Bandit Country. Hodder & Stoughton, pp. 429-431. ISBN 034071736X
  2. ^ アルスター大学CAINデータベースより、オマー爆弾事件での犠牲者リスト (英文)
  3. ^ 2005年6月23日、アイルランド共和国国会の議事録(英文)

外部リンク


アイルランド共和国軍 (IRA) を名乗る組織

アイルランド共和国軍 (アイルランド共和国暫定政府の正規軍) (1919年–1922年)


その後の組織

アイルランド共和国軍 (1922年–1969年) | オフィシャルIRA (1969年–現在) | IRA暫定派 (1969年–現在) |
コンティニュイティIRA (1986年–現在) | リアルIRA (1997年–現在)