高梨秀政

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高梨秀政
時代 戦国時代
生誕 大永8年(1528年
死没 元亀3年(1572年
氏族 清和源氏満季流高梨氏
父母 父:高梨政頼高梨清秀説も)、母:岩井式部大輔成能の娘?
兄弟 頼治秀政、女子(中条景資正室)、頼親、女子(於北、真田信綱正室)
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高梨秀政(たかなし ひでまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将信濃国中野を本拠とした高梨氏の一族。当主高梨政頼の子。あるいは高梨清秀(政頼の叔父、兄弟か)の子。

生涯

高梨氏は北信濃の有力国人であったが、父の政頼の代には甲斐武田氏の信濃進出に押され越後長尾氏上杉氏)に従い、従属色を強めていた。秀政は第四次川中島の戦いに参戦し活躍したが、高梨氏の旧領回復はならなかった。

父の政頼の後半生に不明な部分が多いため、秀政の動静も判然としないが、後に上杉氏から離反したらしく遠江高天神城小笠原氏(高天神小笠原氏)に従っている。第一次高天神城の戦いで武田氏と戦ったが敗れ戦死した。

関連項目