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鞆を着用した射手。『年中行事絵巻』より

(とも)とは、を射る時に左手首の内側につけて、を放ったあと弓のが腕やに当たるのを防ぐ道具である。古語では「ほむた・ほむだ」といい、鞆という字は国字である。

概要

革製の丸い形で、革紐で結びつける装身具であり武具。

鞆の歴史は古く、鷹匠埴輪と呼ばれている埴輪には、腰に鞆(とも)をつり下げたものがかたどられている。古代日本では用いられていたが、中世ごろには実用では用いられなくなっており、武官の儀礼用となった。

鞆に纏わること

「弓の音」という言葉が万葉集を始めとし、数々の和歌の中で詠まれているが、これは鳴弦か鞆音(ともね)のことを指し、鞆音とは弓矢で矢を射た時に、弦が鞆に当った時の高い音をいう。

日本の弓矢神として知られる応神天皇は、鞆を携えて生まれたとされ、それゆえに生まれながらの武神であるといわれ、誉田別尊(ほむたわけのみこと)、大和気命(おおともわけのみこと)。誉田天皇(ほむたのすめらみこと/ほんだの-)という別称も持っている。

広島県福山市の地名「鞆町」や「鞆の浦」の由来である。

紋様の一つの(ともえ)は、鞆の形を図案化して作られたとも、逆に鞆の形に似ていたため「ともえ」という名前になったとも、また、鞆によく描かれた紋様であるからとも言う。