難波清人

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難波清人

難波 清人(なんば きよと、1888年明治21年)8月 - 1940年昭和15年)10月11日)は、日本の政治家、新聞記者。

経歴[編集]

岡山県出身。1913年、明治大学法律科卒業。中外商業新報(現日本経済新聞)経済市場部長、金川中学校理事長などを経て、第15回衆議院議員総選挙補欠選挙で衆院議員に当選。以降、3期当選。昭和会立憲政友会に所属。

1927年(昭和2年)、議会乱闘事件に関与したとして公務執行妨害、傷害の容疑で起訴。同年12月16日に懲役三か月、執行猶予1年の判決を受ける[1]

脚注[編集]

  1. ^ 暴行十代議士に有罪判決『東京日日新聞』昭和2年12月17日夕刊(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p240 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)

参考文献[編集]

  • 『政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。