難波康子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。61.46.106.78 (会話) による 2012年5月29日 (火) 14:43個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

難波 康子(なんば やすこ、1949年2月2日 - 1996年5月10日)は日本登山家東京都大田区出身、早稲田大学卒。日本人女性では田部井淳子に次いで2人目のエベレスト登頂者(47歳・1996年5月10日)となり、七大陸最高峰を登頂した。

経歴

早稲田大学在学中から同好会で登山に親しむ。卒業後はフェデラル・エクスプレスに勤務の傍ら、七大陸の最高峰に挑戦する。1982年、キリマンジャロ。1984年、アコンカグア。1985年、マッキンリーデナリ)。1992年、エルブルス。1993年、ヴィンソン・マシフ。1994年、カルステンツ・ピラミッドにそれぞれ登頂に成功した。

遭難

詳しくはエヴェレスト大量遭難を参照

1996年、ニュージーランドのアドベンチャー・コンサルタンツ社のエベレスト営業公募隊に65000ドルを支払い参加した。5月10日に登頂に成功し、日本人女性で2人目のエベレスト登頂者、および七大陸最高峰の登頂者となった。しかし引率者が指示した登頂の制限時間を守らなかったために下山している途中に日が暮れ、吹雪に巻き込まれて下山ルートを見失い、難波らのグループは立ち往生して遭難した。5月11日朝にはまだ生存していたがその後に凍死した。難波の遺体は翌年シェルパらによって回収され、ベースキャンプで荼毘に付された(享年47)。

その後

  • 難波康子の参加した隊の遭難は、1997年(米)ロバート・マーコウィッツ監督の「エベレスト 死の彷徨」で映画化され、難波康子も大谷朱美が配役され、日本の実業家と紹介されている。

参考文献

  • アナトリ・ブクレーエフ,G.ウェストン・デウォルト著,鈴木主税訳『デス・ゾーン8848M:エヴェレスト大量遭難の真実』(角川書店,1998年)ISBN 4047913049
  • ジョン・クラカワー著,海津正彦訳『空へ:エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか』(文藝春秋,1997年) ISBN4163533702, (文春文庫,2000年)ISBN 4167651017
  • ベック・ウェザーズ著,ステファン・ミショー編,山本光伸訳『死者として残されて:エヴェレスト零下51度からの生還』(光文社,2001年)ISBN 4334961185