阿部健市

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阿部 健市
鹿屋航空隊時代の阿部(1942年)
生誕 1923年3月1日
日本の旗 日本 大分県
死没 没年不詳
所属組織  大日本帝国海軍
最終階級 上等飛行兵曹
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阿部 健市(あべ けんいち、1923年3月1日 - 没年不詳)は、日本軍人第二次世界大戦における日本海軍航空隊撃墜王の1人。乙飛9期、飛練10期。太平洋戦線において、少なくとも単独で5機確実、不確実5、協同で5機の撃墜が確認されており[1]、未確認ながらさらに2機を撃墜した可能性がある。

経歴[編集]

大分県の漁村出身。1938年(昭和13年)6月1日、乙種第9期飛行予科練習生となり、1940年(昭和15年)11月卒業。第10期飛行練習生となる。当初宇佐海軍航空隊で艦爆の操縦教育を受けたが、のち戦闘機に転科。大村海軍航空隊での延長教育を受け、1942年(昭和17年)2月修了。第22航戦司令部付戦闘機隊に配属されるも、空戦の機会はなかった[1]

1942年4月、鹿屋航空隊に転属し、9月よりラバウルに進出。9月29日、ガダルカナル島にて小隊長・大倉積一飛曹と共同4機(不確実1)を撃墜したのが初戦果となる[1]。以降第253航空隊に所属していた1942年から1943年にかけて、阿部はソロモン諸島およびニューギニアを巡る戦いに参加した。翌1943年4月1日、ルッセル島上空の空戦でF4F 2機を撃墜[1]。同年5月6日、負傷と骨折の為に本土へ送還されたが、前線復帰が叶わぬままに1945年8月の敗戦を迎えた[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 秦,伊沢 2011, p. 164.

参考文献[編集]

  • 秦郁彦伊沢保穂『日本海軍戦闘機隊〈2〉エース列伝』大日本絵画、2011年。ISBN 978-4-499-23045-2