間島氏勝

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間島 氏勝
時代 安土桃山時代
生誕 生年不明
死没 没年不明
別名 彦太郎、右兵衛
主君 豊臣秀吉秀頼黒田長政
氏族 間島氏
父母 間島氏常
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間島 氏勝(まじま うじかつ)は、安土桃山時代武将豊臣氏の家臣。播磨国福中城主。姓は真島とも。

略歴

間島氏常の子として生まれる。間島氏は播磨国明石郡国人[1]天正8年(1580年)頃、羽柴秀吉による中国攻めに伴って秀吉に臣従した。

天正11年(1583年)4月、賤ヶ岳の戦いの後の論功行賞で淡路国岩屋城主に任ぜられた。

天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いに従軍し、同14年(1586年)には方広寺大仏殿(京の大仏)の作事奉行を務めた。

その後も九州小田原征伐に従軍し、文禄元年(1592年)の朝鮮派兵では肥前国名護屋城に駐屯した。

慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで西軍に加担したため没落するが、その後、同族のよしみをもって黒田長政に寄食したという[2]

脚注

  1. ^ 森岡浩『戦国大名家辞典』東京堂出版、2013年12月30日、483頁。ISBN 9784490108422 
  2. ^ 阿部猛西村圭子『戦国人名事典 コンパクト版』新人物往来社、1990年9月10日、719頁。ISBN 4404017529