金鍾哲

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金 鍾哲(キム・ジョンチョル、朝鮮語: 김종철1920年11月7日 - 1986年11月4日)は、大韓民国政治家実業家。第4・7・8・9・10・12代韓国国会議員。

白岩(ペガム、백암)。弟は実業家の金鍾喜[1]本貫順天金氏[2]

経歴

忠清南道天安郡に生まれた。明治大学商科卒。後は右翼青年団体の大同青年団本部宣伝・教育部長、韓国火薬・韓国ベアリング・韓国化成・太平物産株式会社理事会会長を務めたほか、士官学校軍事英語学校の設立など韓国国軍の創設にも財政支援をした[3][4]

第4代総選挙に民主党の公認で立候補して当選したが、四月革命の後にしばらく政界から引退した[4]。国会議員計5期を務めたほか、自由党天安区党委員長・中央委員・忠南道党委員長、民主共和党忠南道支部委員長、国民党総裁、韓国メキシコ議員親善協会会長を務めた[3]第12代大統領選挙にも出馬した。

1986年11月4日、持病により66歳で死去した。国葬が執り行われた。

脚注

  1. ^ 적산기업 불하받아 화약산업 독점 승승장구” (朝鮮語). 미디어오늘 (2015年8月30日). 2022年11月7日閲覧。
  2. ^ 김종희(金鍾喜)”. 韓国民族文化大百科事典. 2022年11月7日閲覧。
  3. ^ a b 대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2022年6月6日閲覧。
  4. ^ a b 김종철(金鍾哲)”. 韓国民族文化大百科事典. 2022年8月7日閲覧。