金子藤一郎

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金子 藤一郎(かねこ とういちろう、1893年8月6日[1] - 1950年11月16日[1])は、日本政治家岡山県倉敷市長(1期)。

来歴

新潟県出身[1]1915年、官界に入り、新潟県属となる。内務省地方局に勤務し、島根県仁多郡長となる[1]郡役所の廃止により、岡山県庁に転ずる[1]1929年岡山市助役に就任[1]。5年務めた後、新潟に帰郷し、新潟県満鮮簡易協会に務める[1]。その後、岡山県に戻り、倉敷市助役となり、市警防団長や大政翼賛会役員となる[1]1947年、倉敷市長に当選、市長を1949年まで務め、翌1950年に死去した。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 『岡山歴史人物事典』、309頁。

参考文献