藤波康忠

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藤波 康忠
時代 室町時代後期
生誕 天文元年(1532年
死没 元亀3年5月24日1572年7月4日
官位 従四位上神祇権大副
主君 後奈良天皇正親町天皇
氏族 藤波家
父母 父:藤波朝忠
慶忠
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藤波 康忠(ふじなみ やすただ)は、室町時代後期の日本公家神宮祭主

生涯

神宮祭主藤波朝忠の子として生まれ、天文9年(1540年)、叙爵される。

元亀元年11月、父・朝忠が薨去し、祭主職を引き継ぐことになる。しかし未だ正式な補任の無い中で、禰宜松木房彦の死去に伴う後任推挙をめぐって相論があった(伊勢神宮禰宜職相論)。そのため祭主補任は遅れ、元亀3年2月1日1572年3月14日[注 1]、ようやく祭主に補任される。しかし同年5月24日、公卿に進むことなく、41歳の若さで卒去した[注 2]

官歴

系譜

脚注

注釈

  1. ^ 『二所太神宮例文』第八「祭主次第」には、「元亀二辛未三月日任。」とあり、一年早く任じられたことになっている。
  2. ^ 『二所太神宮例文』第八「祭主次第」には、「同年五月廿四日逝去。」とある。この同年は元亀2年のことであり、これによるならば逝去も一年早いことになる。

参考文献

  • 宝月圭吾・岩沢愿彦監修『系図纂要』第十三冊、名著出版、1974年。