藤原陳政
時代 | 平安時代中期 |
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生誕 | 未詳 |
死没 | 未詳 |
官位 | 正四位下、内蔵頭 |
主君 | 花山天皇→一条天皇 |
氏族 | 藤原北家山蔭流 |
父母 | 父:藤原安親、母:未詳 |
兄弟 | 為盛、守仁、時清、茂秀、兼清、清通、陳政、季随、成忠、正雅、源時中室、藤原相如室、藤原登朝室 |
妻 | 未詳 |
子 | 親業、惟佐、藤原実成室 |
藤原 陳政(ふじわら の のぶまさ)は平安時代中期の貴族。藤原北家山蔭流、参議・藤原安親の子。官位は正四位下・内蔵頭[1]。
経歴
『小右記』によると、永延2年(988年)3月当時、五位・伊賀守であった。春宮亮を経て、正暦3年(992年)正月に備中守に任ぜられる[2]。この後、内蔵頭となり、播磨守を務めた。長保6年(1004年)正月の叙位において、陳政は内裏造宮の功によって叙位を受けることになっていたが、弟の季随にこれを譲っている[3]。寛弘4年(1007年)が記録上最後となり、これ以後の消息は不明。冷泉院判官代も務めた。