藤原季成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。豆もち (会話 | 投稿記録) による 2014年3月24日 (月) 11:52個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

藤原 季成(ふじわら の すえなり、康和4年(1102年) - 長寛3年2月1日1165年3月14日))は、平安時代末期の公卿藤原北家閑院流権大納言藤原公実の七男。正二位権大納言。加賀大納言と号す。

経歴

系譜

成子は後白河天皇の寵妃となり、守覚法親王以仁王亮子内親王(殷富門院)、式子内親王好子内親王休子内親王といった皇子女を儲けた。