守覚法親王

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守覚法親王(しゅかくほっしんのう、久安6年3月4日1150年4月3日) - 建仁2年8月26日1202年9月13日))は、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての皇族。父は後白河天皇。母は藤原季成の娘成子真言宗仁和寺第6世門跡

永暦元年(1160年覚性入道親王に師事して出家仁安3年(1168年)には伝法灌頂を受けている。翌嘉応元年(1169年)覚性入道親王が没したのち、その跡を継いで仁和寺御室(門跡)に就任した。高倉天皇の第一皇子言仁親王(後の安徳天皇、後白河天皇の孫にあたる)誕生の際には出産の祈祷を行っている。小野流・広沢流両流の法を受けた。建仁2年(1202年)、仁和寺喜多院で死去。

和歌に優れ、家集『守覚法親王集』『北院御室御集』がある。また、仏教関係の著書には『野目鈔』『左記』『右記』などがある。『北院御日次記』という日記も記した。また、平基親の『官職秘抄』は彼のために書かれたと言われている。

平家物語』『源平盛衰記』の「経正都落」条に、平経正が都落ちの際仁和寺に立ち寄り、先代覚性法親王より拝領の琵琶『青山』を返上した折、別れを惜しみ歌を交わした記事が残る。


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