荘林幸輝

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荘林幸輝
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 熊本県
生年月日 (1955-05-24) 1955年5月24日(68歳)
身長 163cm
体重 50kg
血液型 AB型
選手情報
所属 福岡支部
登録番号 2833
登録期 42期
級別 A2級
特徴 自在
選手実績
デビュー日 1978年5月
選手引退日 2012年12月
GI/PGI優勝 8
一般戦優勝 53
通算勝率 6.63
主要獲得タイトル
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荘林幸輝(しょうばやし こうき、1955年5月24日[1][2] - )は、熊本県熊本市出身[2]の元ボートレーサー並びにボートレーサー養成所実技教官。登録第2833号。身長163cm。血液型AB型[2]。42期[3]

来歴

1955年5月24日熊本県熊本市に生まれる[2]熊本県立熊本工業高等学校機械科を卒業後、大阪日立造船桜島工場に就職した[2]。同僚の勧めで競艇選手養成所の試験を受け、合格[4]1978年5月デビュー、同年6月に初勝利。

通算で50回の優勝、GIでは8回の優勝があるものの、SGでは19回もの優出経験がありながら優勝はゼロ。それゆえに「無冠の帝王」と呼ばれる[1]。2007年大村競艇場競艇名人戦では優出1号艇を決めたものの、レースで大嶋一也にインを奪われるとそのままイン逃げを決められ、2着に終わった。

2011年6月8日丸亀競艇場2Rで3コースからまくりで勝ち、史上78人目となる2000勝(7320走目での記録)を達成した。[† 1]

2012年12月25日を以って選手登録を消除、引退。その後は、翌年1月よりやまと学校の教官に就任した。[5]

2021年3月31日を以って、ボートレーサー養成所の実技教官を退官した。

人物・エピソード

  • 落ち着いた性格の持ち主で、口癖は「あわてたって仕方がないでしょう」[6]
  • 42期は、荘林幸輝、平野勇志吉田稔久間繁刀根辰治らがいて逸材揃いといわれた。

獲得タイトル

GI

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b 蛭子能収『競艇入門』、ポケットブック社、1992年11月、P160。
  2. ^ a b c d e 木村1992、125頁。
  3. ^ 木村1992、126頁。
  4. ^ 木村1992、125-126頁。
  5. ^ 名バイプレイヤー 荘林幸輝が養成機関「やまと学校」教官に就任 - BOAT RACE OFFICIAL WEB SITE 2012年12月25日
  6. ^ 木村1992、130頁。

参考文献

  • 蛭子能収『競艇入門』ポケットブック社〈Pocket book 38〉、1992年。ISBN 978-4-341-14038-0 
  • 木村幸治『水上の格闘者たち』講談社、1992年。ISBN 978-4-06-204715-9 

外部リンク