荒木十畝

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荒木十畝

荒木 十畝(あらき じっぽ、1872年10月5日明治5年9月3日) - 1944年昭和19年)9月11日)は、日本画家長崎県大村生まれ。本名・朝長悌二郎。

生涯

1892年荒木寛畝に師事し養子となる。1895年日本美術協会会員、1897年日本画会に参加、1901年東京女子高等師範学校講師、1904年セントルイス万国博銀牌、1907年正派同志会を組織、1910年日英博覧会金牌受賞、1919年女高師教授を辞す。1922年日華連合絵画展開催、1923年帝国美術院会員、1931年シャムに渡り日本美術展を開催、1937年帝国芸術院会員となる。晩年画室を大磯、更に箱根仙石原に移して制作に打ち込もうとしたが、心臓麻痺により急逝。享年73。法名は開悟院殿十畝日顕居士。墓は新宿区浄輪寺

いわゆる「旧派」の代表的人物と目され、技術偏重で伝統を墨守した画家だと思われがちである。確かに初期の作品はそうした傾向にあるが、十畝は「守旧漸進主義」を掲げて伝統を基礎とした新しい日本画の創造に取り組み、象徴主義的作風から、やがて精神性を強く打ち出した優美な絵画世界を構築した。

弟子に西沢笛畝森白甫永田春水亀割隆志木本大果松久休光小林観爾湯原柳畝など。

代表作

  • 秋江水禽図 (講談社野間記念館) 1幅 絹本彩色 明治末年
  • 清姘(せいけん) (山種美術館) 六曲一双 紙本彩色 1916年(大正5年)
  • 四季花鳥 (山種美術館) 4幅対 絹本彩色 1917年(大正6年)
  • 黄昏 (講談社野間記念館) 1幅 絹本彩色 1919年(大正8年)
  • 雄風 (大雄山最乗寺) 紙本金地墨画 六曲一双 1936年(昭和11年)

画集

  • 十畝画選 高田耕雲編 芸艸堂 1926年(大正15年)
  • 十畝作品集 東京美術倶楽部 芸艸堂 1938年(昭和13年)
  • 十畝画選 荒木いと 1963年(昭和38年)

著作

  • 花鳥画の描方 日本美術院 1919年(大正8年)
  • 新南画講座 資文堂 1935年(昭和10年)
  • 東洋画論 小学館 1942年(昭和17年)

参考資料

  • 展覧会図録 『荒木十畝とその一門 官展東京派の精鋭たち練馬区立美術館、1989年