草壁焔太

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草壁 焔太(くさかべ えんた、1938年3月13日[1] - )は「五行歌の会」主宰、五行歌人、詩人評論家翻訳家。本名、三好清明[1]関東州大連市生まれ。五行歌の創始者として知られている[2][3][4]

来歴

終戦後、9歳のときに香川県小豆島引揚げ香川県立小豆島高等学校東京大学文学部西洋哲学科卒。1956年、前川佐美雄の「日本歌人」に入会、1957年、新詩型「五行歌」を創案し、自由詩とともに五行歌を書いた。ライター編集などをしながら、詩歌の活動に専念。1966年第一詩集「ほんとうに愛していたら」を刊行。その後、多くの詩集を出版し、「絶唱」「湖上」[5]「詩壇」と詩歌雑誌の主宰を務めた。四十代後半には、1993年五行歌集「心の果て」を刊行、1994年4月、「五行歌の会」[6]を創立、月刊『五行歌』[7]を創刊し、「五行歌の会」主宰として五行歌の普及に努める。[8][9][10][11][12][13][14][15][16][17][18][19]

著作

  • 『ほんとうに愛していたら』 六芸書房 (1966)
  • 『啄木と牧水―二つの流星 』日貿出版社 (1976)
  • 『石川啄木―天才の自己形成』講談社現代新書(1977.6)
  • 『実力専務去る』六芸書房 (1979.12)
  • 『敬語で恥をかかない本』日本文芸社(1983)[20]
  • 『穴のあいた麦わら帽子』市井社(1983)
  • 『学校がなくなった日』市井社(1988)
  • 『散文人間、韻文人間、データ人間』 市井社 (1990.4)
  • 『心の果て』 市井社 (1993.3)
  • 『川の音がかすかにする』市井社 (1994.11)
  • 『東大なんてヘッチャラさ―モーレツ愉快な勉強法 』読売新聞社 (1985.3)
  • 『五行歌を始める人のために』市井社 (1997.1)
  • 『飛鳥の断崖-五行歌の発見』 市井社 (1998.12)
  • 『五行歌の事典』東京堂出版 (2001.6)
  • 『五行歌入門』東京堂出版 (2001.9)
  • 『木曜日の五行歌』東京堂出版 岩崎千夏 画(2002.5)[21]
  • 『海山』 市井社 (2005.3)
  • 『五行歌秀歌集〈1〉’01~’05』(2006.8)
  • 『Gogyohka』Shisei-sha (2006.11)
  • 『すぐ書ける五行歌』市井社 (2008.9)
  • 『もの思いの論―五行歌を形作ったもの』市井社(2009.10)
  • 『五行歌秀歌集〈2〉’06~’10 』市井社(2011.12)
  • 『五行歌 誰の心にも名作がある 』市井社(2013.12)[22]
  • 『人を抱く青』草壁焔太五行歌選歌集,遊子編市井社(2015.3)
  • 『ホンネの五行歌』明治書院 (2015.4)
  • 『五行歌秀歌集 <3> '11~'15 』市井社(2016.12)
  • 『額田王は生きていた』市井社(2019.5)[23]

翻訳

  • ジェームス・ブリス/ジョセフ・モレラ『左利きの本―右利き社会への挑戦状 』講談社(1980.12)

出典、脚注

外部リンク