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臨界期仮説

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言語学および第二言語習得における臨界期仮説(英: critical period hypotheses)とは、臨界期とよばれる年齢を過ぎると自然な言語能力の習得が不可能になる、という仮説である。母語の習得および外国語の習得の両方に対して使われる。臨界期の時期には諸説あるが、だいたい出生から思春期(12歳から15歳ごろ)までであるとされている。第一(L1)・第二言語(L2)両方の習得に関して年齢が重要な要素となっていることは定説となっているが、はたして臨界期なるものが本当に存在するのか、また存在するとしたらそれがいつなのかなどについては長い議論があり、仮説の域を出ていない。

概要

野生児または孤立児と呼ばれる幼児期に人間社会から隔絶されて育った子供は、後に教育を受けても言語能力、特に文法に従った文を作る能力については著しく劣ることが知られている[1]。また、外国語の学習でも、一家で国外へ移住した移民の親より子供のほうが外国語を早く、また上手に使いこなせるようになることは広く知られている。母語・外国語両方の習得の成否について年齢が大きな影響を与えていることは、日常の経験からも、言語学の研究結果[2]からも納得されることである。年齢が上がると言語を習得することが困難になる原因についてはさまざまな説が提唱されている。しかし、年齢以外のファクターを除外できていない可能性があるという批判もあり、たとえば脳生理学的な変化や心理的影響を原因とする説などもあるが、21世紀初頭現在でははっきりとは解明されていない。それに加え、個々の言語能力についての臨界期は異なるという説もある。たとえば発音についてはかなり低い年齢に臨界期が存在するという強い証拠があるが、語順などの統語的規則についての臨界期は遅いという主張もある[3]。また、語彙については明確な臨界期が存在しないとの説もある[4]

歴史

1967年にLennebergは、幼児の大脳の発達と母国語の言語獲得の間にある関係を述べた[5]。彼はに障碍を負った人の年齢と言語障碍の関係を調査し、母語習得の臨界期は3歳から5歳ごろまでだと主張した。

第一言語の臨界期

正常な人間が大人になってはじめて言語を習得した例はまれであるが、チェルシー(仮名)という聴覚障碍を持ったアメリカ人カリフォルニア州の女性の例がある。彼女は両親や医者によって聴覚に障碍があることに気づかれずに、31歳にまでなってしまった。その後神経学者補聴器を与え、リハビリを施した結果、10歳児の知能水準にまで達し、自立した社会生活を営むにまで回復したものの、統語ルールだけは最後まで身につかなかったとされる[6]

第二言語の臨界期

臨界期という考え方は、もともとは母語の習得について述べられたものであったが、後に第二言語習得論の分野へも持ちこまれた。大人は子供よりも認知能力が優れているため、学習の初期には早く上達するものの、長期的には子供のほうが上達する傾向にある。2000年にDeKeyserがハンガリー人移民コミュニティで、英語能力とアメリカ合衆国への移住時期、および外国語学習に関する適性の調査を行った結果によると、16歳以前にアメリカへ移住した人は、みな高い英語力を示したのに対して、それ以降の年齢で移住した人については個人の素質によって言語能力に差がみられたという。しかし、少数ながら成人してからもネイティブに近い文法能力を身につけた人も存在することは事実である。テキサス大学オースチン校のDavid Birdsongらによると、外国語が日常的に使われる環境に身を置き、高いモチベーションを持って聞き取りや発音のなどの音声的な訓練を長期間行なえば、10%以上の人がネイティブ並みといえる文法・発音能力を習得できるという研究結果がある[7]

臨界期が生じる原因の仮説

臨界期のようなものが生じる原因については生理学的な脳の変化による説明が試みられている。出生から思春期までの間に脳機能の左右分化(lateralization)が起こることで臨界期が生じるというものである。しかし、脳の変化と言語の習得を直接結びつけることについては無理があるとの意見もある[8]

第二言語の臨界期が存在する理由として、自我の発達による理由や母国語の習得による仮説が考えられている。自我の発達というのは、ある程度の年齢に達すると外国語を話すことを気恥ずかしく思うようになったり、母語を使うメディアや友人と好んで付き合うようになると考えられるからである。また母語に親しむことで、その言語には無い発音や文法、概念などを無意識のうちに遮断するようになるとも考えられている。ほかには、間違いを犯すことを恥ずかしがらない、自己流に固執しない、周囲に同化したいという気持ちが強いことなども考えられている[9]。しかしながら、これらの理由のいくつかは排除しうるとピンカーは述べている。彼は、言語習得をコンピュータフロッピーディスクの関係に例え、一度必要なソフトウェアインストールしてしまえばフロッピーディスクは必要なくなってしまうように、言語を一度習得すればもう言語習得回路は必要なくなってしまい、それを維持することで負担が生じるのであれば解体してしまったほうが良いのだと説明している[10]

脚注

  1. ^ スーザン・カーチス著、久保田競藤永安生訳 『ことばを知らなかった少女ジーニー―精神言語学研究の記録』 築地書館、1992年、ISBN 978-4806745600
  2. ^ たとえば Burstall, C. (1975). “Factors affecting foreign language learning : a consideration of some relevant research findings.”. Language Teaching and Linguistics Abstracts, 8.. など
  3. ^ 白井(2008) p.32-33
  4. ^ 白井 (2008) p.42
  5. ^ Lenneberg, E.(1967). Biological Foundations of Language. New York : Wiley and Sons.
  6. ^ ピンカー(1995) p.98
  7. ^ The NCLRC Language Resource VOL. 6, NO. 6 JULY 2002
  8. ^ 片山嘉雄、遠藤栄一、垣田直巳、佐々木昭編(1998)「新・英語科教育の研究」大修館
  9. ^ ピンカー (1995) p.95
  10. ^ ピンカー(1995) p.100

参考文献

  • 白井, 恭弘 (2008). 外国語学習の科学:第二言語習得論とは何か. 岩波新書. ISBN 978-4-00-431150-8 

関連項目

外部リンク