肥後古流 (茶道)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2020年4月23日 (木) 20:59; Bcxfubot (会話 | 投稿記録) による版 (外部リンクの修正 http:// -> {{Wayback}} (homepage3.nifty.com) (Botによる編集))(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

肥後古流(ひごこりゅう)は、熊本藩で伝承された茶道の流派の一つ。千利休の流儀をそのまま伝えていると称される。古市・小堀・萱野の三家で伝承したことからそれぞれ古市流(ふるいちりゅう)・小堀流(こぼりりゅう)・萱野流(かやのりゅう)とも呼ぶ。

歴史[編集]

細川三斎(細川忠興)は利休七哲に数えられるほどの達人であるが、豊前小倉忠利に家督を譲ると、忠利は寛永2年(1625年)に円乗坊宗圓の婿である古市宗庵を細川家の茶道役として召し抱えている。三斎も忠利も、古市宗庵に利休から変えることのない「古風の茶の湯」を伝えることを命じている。これが肥後古流の祖である。

円乗坊宗円(圓乗坊宗圓)は元は本能寺の僧であったが還俗して利休の四女の婿となり、利休から極真台子および盆点法を伝えられた唯一の人であると伝えられている。それによれば、利休の実子である道安はあまりにも器用で、独自の創意が多いため伝授されないまま利休が没してしまい、一方で養子の少庵は不器用であったため伝授されなかったという。宗圓には道鉄という子があったが、医業に秀でてこれに専念したため、婿の古市宗庵が一切を相伝されたと伝えられている。古市宗庵は後に京都に出て利休の孫同士として千宗旦に伝授した。その際の礼状があったが、昭和28年の大水害で失われた。熊本に伝わる宗旦作の茶杓や竹花入などが、その傍証となる。

歴代[編集]

古市家[編集]

古市家は初め200石、2世宗庵は加増されて300石、以後8世宗安まで茶道頭を勤めるが天保3年(1832年)に不行跡により知行召し上げとなる。9世宗栄は200石の茶道役に復し、10世宗安の時に維新を迎える。維新後は武田家に受け継がれており、同門組織として的々社がある。豊前小倉藩の茶道役(小笠原家茶道古流)にも古市家がある。

古市家歴代
生没年月日 備考
古市宗庵 不詳 横川理庵の子で円乗坊宗圓の婿
古市宗庵 不詳-1692年8月22日 初めは宗佐と称する
古市宗円 不詳-1691年8月4日 2世宗庵の養子で初めは宗佐と称する
古市宗佐 不詳-1706年 2世宗庵の実子
古市宗佐 不詳-1736年3月1日
古市宗園 不詳-1783年5月24日
古市宗庵 不詳-1825年1月30日
古市宗安 不詳-1844年8月24日 初め理庵と称する
古市宗栄 不詳-1858年8月10日 8世宗安の養子
古市宗安 不詳-1901年5月3日 初め周佐と称する
十一 武田元凞 不詳‐1950年12月15日 10世宗安の門人
十二 武田元二 1922年- 当代

小堀家[編集]

小堀家は豊前において小姓に召し抱えられた小堀長左衛門を祖とし、その子長斎が慶安4年(1651年)に茶道役となったことに始まる。2世茂竹は古市家4世宗佐から皆伝を受け、これを5世宗佐に伝えている。3世長順常春は多才な人で、文筆に長け『茗理正伝』など多くを著し、また実父村岡伊太夫の立てた水術を受け継いで水練師範として小堀流踏水術を創始した。同門組織として白水会がある。

小堀家歴代
生没年月日 備考
小堀長斎 不詳-1696年8月12日 小堀長左衛門の子
小堀茂竹 不詳-1737年12月26日 養子、後に長斎と称する
小堀長順 1700年-1771年10月2日 養子、村岡伊太夫の次男で、2世茂竹の甥
小堀全順 不詳-1807年1月7日

小堀弘順 不詳-1806年8月23日
小堀普順 不詳-1835年2月13日
小堀長順 不詳-1858年4月17日
小堀英記 不詳-1858年8月13日 養子
小堀長斎 1841年-1907年2月23日 6世長順の実子、後に長十と称する
小堀十一郎 1868年-不詳 半休と称した
小堀周二 1894年-1988年10月16日
十一 小堀富夫 1930年1月23日- 熊本放送名誉会長,県文化協会会長

萱野家[編集]

古田織部の弟古田重府は、織部改易の折に難を逃れて豊前小倉の萱野伝左衛門に身を寄せた。萱野家の初代萱野正的は伝左衛門の姉の婿であり、「茶事に因縁ある」と記されていることから重府の子と見られている。古市家1世宗庵に師事して茶道役となり、茶道頭として200石を受けている。7世正房は維新の後に姓を古田に復して、以後門下の指導に当たっていたが、現在、古田家は指導を離れている。同門組織として松風会がある。

萱野家歴代
生没年月日 備考
萱野正的 1620年-1707年1月15日 後に甚斎、隠斎と称す、古田重府の子か
萱野秀盈 1655年-1733年7月11日 正的の婿養子
萱野成商 不詳-1739年5月8日 秀盈の婿養子
萱野正勝 1719年-1780年6月22日
萱野正信 1749年-1820年7月22日 養子
萱野正名 1783年-1854年9月18日
古田正房 1815年-1904年1月10日
古田正寿 1851年-1886年5月21日
古田正雄 1876年-1960年2月27日

外部リンク[編集]

参考文献[編集]

  • 細川護貞「三斎流と肥後の古風茶湯三家と一尾派」『日本の茶家』河原書店
  • 宮帯出版社編集部「茶道家元系譜」『茶湯手帳』宮帯出版社