籠釣瓶花街酔醒

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籠釣瓶花街酔醒(かごつるべ さとのえいざめ)は、歌舞伎の演目。通称「籠釣瓶」。江戸時代の享保年間に起きた「吉原百人斬り」事件をもとにした、三代目河竹新七(黙阿弥の門人)の作。全8幕20場。1888年(明治21年)5月1日東京千歳座初演。

あらすじ

講釈を脚色したもので、全8幕の長い作品であるが、今日演じられるのは、5・6・8幕の一部である。


野州(下野国・現在の栃木県)の豪農佐野次郎兵衛が遊女お清を妻に迎えるが、妻が病気(梅毒)になったため捨て、後に惨殺してしまう。その祟りで、次郎兵衛は死に、次男の次郎左衛門は疱瘡(天然痘)に罹り一命は取り留めるも醜いあばた顔になる。その後、次郎左衛門は金を奪われそうになったところを浪人都筑武助に助けられる。武助を家に招いて世話をし、そのお礼に「籠釣瓶」という刀を授かる。この刀は一度抜くと血を見ないではおかない、という因縁のある妖刀村正であった。今、その刀は次郎左衛門が持っている。

吉原仲之町見染の場

江戸に絹を売りに来た佐野次郎左衛門が下男冶六とともに吉原を見物する。いかにも田舎者のなりの2人は、客引きにあやうく騙されそうになり、茶屋の主人・立花屋長兵衛に「今日は帰りなさい」と諭される。次郎左衛門は、花魁道中の八ツ橋を見かけ、一目ぼれをしてしまう。 花道の付け際で八ツ橋が見せる微笑みと、茫然自失となり座り込む次郎左衛門との対比が見せ場である。

立花屋店先の場~大音寺前浪宅の場~八ツ橋部屋縁切の場

佐野次郎左衛門は、その後八ツ橋のもとに通いつめ、近々身請けをする話がまとまっている。一方、八ツ橋の養父・釣鐘権八が立花屋を訪ね、金の無心を頼むが、あまり度々のことなので断わられてしまう。これを恨んだ権八は、八ツ橋の情夫である浪人・繁山栄之丞の家へ行き、次郎左衛門の身請けの話を伝える。八ツ橋のもとへ来た権八と栄之丞は、次郎左衛門に愛想尽かしをするよう無理強いする。

次郎左衛門は、商売仲間2人を連れて茶屋に遊びに来ている。芸者や幇間らも交えて大勢でにぎやかに酒宴をしているうち、遅れて八ツ橋が顔を出す。八ツ橋は、「身請けをされるのはもともと嫌でありんすから、お断り申します。どうぞこの後わたしのところに遊びに来て下さんすな。」と次郎左衛門に愛想尽かしをし、満座の中で恥をかかせる。八ツ橋は部屋を出ていき、商売仲間らも次郎左衛門を馬鹿にして行ってしまう。残された次郎左衛門は長兵衛と女房に、八ツ橋のことはあきらめる「振られて帰る果報者とはわしらのことでございましょう。」と寂しげに故郷へ帰ってゆく。

立花屋二階の場

年の暮れ、次郎左衛門が久しぶりに立花屋に顔を見せる。八ツ橋とまた初会となって遊びたいという次郎左衛門を、皆が歓迎する。しかし、八ツ橋と2人になった次郎左衛門は「コレ八ツ橋、よくも先頃次郎左衛門に、おのれは恥をかかせたな。」と「籠釣瓶」を抜き、逃げる八ツ橋を切り殺す。狂気した次郎左衛門は刀を燭台に透かし見て「ハテ籠釣瓶はよく切れるなあ。」と笑う。

(原作ではその後、権八、栄之丞ら大勢を斬り殺す)

概略

  • 地方の商人が都会の遊女に情事をもち破滅するというテーマは、師の「八幡祭小望月賑」(縮屋新助)を意識しているが、構成やまとまりは数段落ちる。一例として、六幕目につづく七幕目で八ツ橋に振られた次郎左衛門が故郷の兄の元に帰り、西国で武士に仕官することとなったと偽って財産を処分し妖刀を携えて江戸にもどり、八幕目の「殺し」となるが、あまりにも間が空きすぎている。三木竹二に「立腹も日を経れば薄らぐはずだ。」と批判されたほどである。そんな欠陥を持ちながらも俳優に恵まれ今日でも上演されることが多い。
  • 戦後依田義賢の原作で「花の吉原百人斬り」という題で映画化され、片岡千恵蔵の次郎左衛門、水谷良恵(現水谷八重子)の八ツ橋で好評であった。のち、新派でも花柳章太郎の次郎左衛門と水谷の八ツ橋で取り上げられた。
  • 美男子の初代左團次が醜い容貌の主人公を演じるというのが趣向で、脚本でも茶屋の人々は次郎左衛門に好意を持って接している。初代は八ツ橋殺しの朗々たる台詞と勇壮な立ち回りが好評であった。子の二代目左團次も父と同じやり方で演じ、縁切りの場も湿っぽくなくあっさりしたものであった。それを悲劇的に演じるようにしたのが初代吉右衛門で、今日の型となっている。
  • 吉原の最高級の遊女の花魁は、客との初対面の挨拶が終わると関係者を連れて遊郭の中を練り歩いて帰る。そのさい今日御贔屓の客が来ている他の茶屋に向かって挨拶する意味で微笑む。この際、挨拶された茶屋は祝儀を花魁に送るのが習わしとされ、花魁が挨拶する数が多いほど人気があり従って格が上がるとされる。「見染め」で八ツ橋が微笑むのはそのためで、次郎左衛門は自分にしたものを誤解するところから悲劇が始まるのである。
  • 1960年、「籠釣瓶」がアメリカ公演の演目に選ばれた際、従来の次郎左衛門の八ツ橋殺しで幕では後味が悪く、外国の観客の理解を得られまいという意見が出て、松尾國三らが新しく次郎左衛門自害の場を設けることを決めた。だが、元GHQ高官でアメリカの歌舞伎愛好者F・バワーズの猛反対でこの案は立ち消えとなった。

初演時の配役

当たり役

籠釣瓶

籠で作った釣瓶は水が溜まらないことから、水も溜まらぬ切れ味の名刀に付けた名前。