磐之媛命
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磐之媛命(いわのひめのみこと、生年不詳-仁徳天皇35年6月(347年)は、古墳時代の皇妃。葛城襲津彦の娘。孝元天皇の男系来孫(古事記では玄孫)。仁徳天皇の皇后で、履中天皇・住吉仲皇子・反正天皇・允恭天皇の母。仁徳天皇2年(314年)立后。とても嫉妬深く、仁徳天皇30年(342年)、彼女が熊野に遊びに出た隙に夫が八田皇女(磐之媛命崩御後、仁徳天皇の皇后)を宮中に入れたことに激怒し、山城の筒城宮(現在の京都府京田辺市)に移り、同地で没した。
嫉妬にまつわる逸話
古事記に「甚多く嫉妬みたまひき」という記述が見られるように、妬み深い人物として知られる。その様から他の妾が宮殿に会いに行けず、仁徳天皇は宮殿を離れた時か、彼女が宮殿から出かけた時に迎えいれるしかなかったという。ただ、裏を返せばそれだけ仁徳天皇が多情であったということであろう。
日本最古の歌集とされる万葉集には彼女の愛情の深さを表す歌が四首収められている。なお、ここでいう「君」はもちろん仁徳天皇を指す。
君が行き 日長くなりぬ 山たづね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ
かくばかり 恋いつつあらずは 高山の 磐根し枕きて 死なましものを
ありつつも 君をば待たむ 打ち靡く わが黒髪に 霜の置くまでに
秋の田の 穂の上に霧らむ 朝霞 何処辺の方に わが恋い止まむ
3首目の意味は「豊かな私の黒髪が白くなるまであなたを待ちましょう」という意味であり、この歌を詠んだのが上記と同一人物とは信じられず、後の時代に別の誰かによる創作とも考えられている。