石田章

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石田章(いしだ あきら、1949年5月23日 - )は、囲碁棋士東京都出身、日本棋院所属、福田正義八段門下、九段。新人王戦2連覇、名人戦リーグ6期など。筋のよい本格的な棋風の実力者として知られ、同姓の石田芳夫と比較して一時期「強い方の石田」とも揶揄された。

経歴

父和男は棋士四段で、6歳で教えを受ける。1958年に日本棋院院生となり、1966年初段。藤沢秀行阿佐ヶ谷での研究会にも参加。1971年五段。1978、79年の新人王戦で、決勝で倉橋正蔵(2-1)、山城宏(2-1)を破って2連覇。1982年九段。1982年から6期連続名人戦リーグ入り、1983年第8期リーグでは大竹英雄林海峰小林光一などを破って優勝争いを演じた。1988年に大腿骨骨頭壊死で入院し、病院から松葉杖をつきながら名人戦リーグを戦ったが、0勝8敗でリーグ陥落。1998年本因坊戦リーグ入り。6局目まで4勝2敗で、最終戦に勝てばプレーオフ進出だったが彦坂直人に半目負け、残留決定戦でも柳時熏にも敗れ、4勝3敗の成績で陥落の憂き目となる。

棋道」誌で1992年8月〜93年12月号まで「石田章の今月の一手」覧を担当するなど、鋭い批評眼も示す。2003年には『囲碁界の真相』を著し話題となる。碁界では酒好き(特に焼酎)でも知られ、またディック・ミネのファン。通算成績は794勝440敗(2006年4月時点)。

主な棋歴

代表局

第9期名人戦リーグの石田(黒)-林海峰戦(1984年)。左上の三間高バサミ定石で、白のコスミツケに対して黒★と打ったのが新型。以下白A〜黒Jと進み、その後の激戦を制して中押勝、リーグ戦のダークホースとなった。

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新手

第8期名人戦リーグの石田(黒)-坂田栄男戦(1983年)。右下の大ゲイマガカリに対して、一本黒Aと押してからCとかけた手が新手。この後の折衝で緩着があり坂田に押し切られた。リーグ戦は4勝4敗で残留。

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著作

  • 『詰碁ジョイブックス4 上級編』日本棋院 1981年
  • 『NEW別冊囲碁クラブNO.50 序盤の急所-棋力は20手で見破られる 』日本棋院 1984年
  • 『囲碁戦略 風林火山』日本棋院 1988年
  • 『よくわかる初歩の囲碁―基本ルールを覚えて、すぐ実戦』日東書院 1995年
  • 『黎明秀甫』日本棋院 1996年
  • 『碁敵に勝つ秘訣〈6〉感性とヨミを鍛える (日本棋院ライブラリー)』2000年
  • 『囲碁界の真相』河出書房新社 2003年
  • 『石田章 詰碁傑作選 ~基本手筋の反復練習~』毎日コミュニケーションズ、2007年

外部リンク