石川登盛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Ihimutefu (会話 | 投稿記録) による 2020年3月1日 (日) 04:27個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (Category:朝鮮総督府の人物を除去; Category:日本統治時代の朝鮮の道知事を追加 (HotCat使用))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

石川登盛

石川 登盛(いしかわ ともり、1885年明治18年)10月1日[1] - 没年不詳)は、朝鮮総督府官僚実業家

経歴

岩手県東磐井郡八沢村(現在の一関市)出身[1]1912年(明治45年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、高等文官試験に合格した[2]岩手県警部西磐井郡長、岩手県理事官を務め、1913年大正2年)に朝鮮総督府事務官に転じた[1]全羅北道第二部長、同警察部長、警務局保安課長、同衛生課長、同警務課長兼図書課長を歴任し、1929年(昭和4年)に平安北道知事に就任した[2]

退官後は、朝鮮火災海上保険株式会社社長を務めた[3]

脚注

参考文献

  • 『御大典記念 岩手県名士肖像録』岩手県名士肖像録刊行会、1930年。 
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版(上)』人事興信所、1943年。