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知識は力なり

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知識は力なり」(ちしきはちからなり)は、16-17世紀イングランド哲学者フランシス・ベーコンの主張に基づく格言である。ラテン語では"scientia potentia est"英語では"knowledge is power"。なお、「知は力なり」と訳されることもあるが、日本語の「」が知識のほかに知恵など広い意味を含むのに対し、ラテン語scientiaおよび英語knowledgeは知識(あるいは知ること)という狭義に限定される。

出典および正確な主張

『ノヴム・オルガヌム』表紙

実際には、本項目の格言が一字一句そのままにベーコンによって記されたわけではない。しかし、ベーコンは同様の主張を少なくとも二度に渡って著述している。

第一は、1597年に書かれた随想"Meditationes Sacræ. De Hæresibus"(『聖なる瞑想。異端の論について』)「そしてそれゆえ、知識そのものが力である」(Nam et ipsa scientia potestas est)。

第二は、1620年に書かれた主著『ノヴム・オルガヌム』第1巻「警句」(強調および[]内は引用者によるもの)。[1]

  • I. 自然の下僕かつ解釈者たる人間は、自然のふるまいに対する事実または思考の中に観測できた分だけを、実行・理解可能だ。これを超えては、何も知ることがないし、何も行うことができない。
  • II. 人間の素手にせよ、理解力にせよ、それだけでは、十分な結果をもたらすことは不可能だ。道具や補助器具を利用してこそ、[人間の手によって]仕事は成されるのだが、それら[助けとなる道具]は手だけではなく理解力にも必要とされている。手のうちにある道具が機能をもたらし手を導くように、精神の道具も理解力と注意力を補強する。
  • III. 人間の知識と力は一致する、というのも、原因を知らなければ、結果を生み出すこともできないからだ(Scientia et potentia humana in idem coincidunt, quia ignoratio causae destituit effectum.)。自然を支配するためには、自然に仕えなければならない。思索における原因は、作業における規則に対応する。
  • IV. 仕事を成し遂げるために、人間ができる唯一のことは、自然の実体を、まとめたり、ばらばらにしたりすることだけだ。残りは、自然の性質によって、自然の内部でなされる。
  • (第5項以下は省略)

要約すると、ベーコンは、自然のふるまい(因果性でいう「結果」)を観察・思索し、そこから推測できた知識(因果性でいう「原因」)を、精神の道具として実利に用いる(人間が意図する「結果」を生み出す)ことを主張している。ベーコン以前の西洋哲学で主に用いられた演繹法ではなく、自然のしもべとして、自然に対する真摯な観測を重視した帰納法を提言しているのである。

起源

類似の格言は、既に旧約聖書箴言』24章5節において見られる。「知恵ある男は勇敢にふるまい/知識ある男は力を発揮する。」(新共同訳) しかし、知識だけではなく知恵も同様に称揚している点でベーコンの主張とは異なる。

後世への影響

情報認知局(IAO)のロゴマーク

この格言に代表されるフランシス・ベーコンの思想は経験論を生み出し、現在の科学的方法の基盤の一つとなった。なお、現代英語で「科学」を意味するscienceは、ラテン語の「知識」scientiaを語源としている。

また、情報戦における標語として用いられることもある。たとえば、アメリカDARPA管轄下でテロ活動の信号傍受・監視を行う情報認知局のロゴにこの格言(Scientia est potentia ) が含まれている[2]

ジョージ・オーウェルのディストピア小説『1984年』では、作中の政府は逆に「無知は力である」(Ignorance is strength)をスローガンとする。

脚注

  1. ^ 『Instauratio Magna、James Spedding他による英訳、1858年』からの重訳(Wikisource:Novum_Organum)。ラテン語原文は、[1] (2012-04-14閲覧)から。
  2. ^ Information Awareness Office, 2010-10-30閲覧