相引川
相引川 | |
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相引川(屋島西町付近) | |
水系 | 二級水系 相引川 |
種別 | 二級河川 |
延長 | 5.01 km |
流域面積 | 11.6 km² |
水源 | なし |
水源の標高 | 0.0 m |
河口・合流先 | 瀬戸内海(香川県) |
流域 | 香川県 |
相引川(あいびきがわ)は、香川県高松市を流れる相引川水系の二級河川。全長約5.0km。
地理
屋島の南側を東西に流れ、両端でともに瀬戸内海に繋がっているため、河川としては特異の「河道の両端に河口を持つ河川」である。西側は新川・春日川河口に合流している。東側の河口は、高松市と旧牟礼町の境界となっていた。
厳密に言えば現在でも屋島はこの河川によって四国本土と切り離されていることになる。ただし、当川は海峡ではなくあくまで河川であるため、法定上屋島は島ではなく、日本の主要4島としての四国の一部である。
成り立ち
源平合戦(1185年)の時代には屋島と四国本土はかなり離れていた。時代が下り生駒氏統治時代(1600年 - 1640年)になると埋め立てによって屋島と四国本土は陸続きになり、当川の部分は一旦埋め立てられて陸地化したが、松平氏統治時代(1642年 - 1871年)になると初代藩主松平頼重の命によって1647年(正保4年)にはここに水路が通され、現在の相引川の形が完成した[1]。
名称の由来
川の両端がともに海に繋がっているため、潮の満ち引き時には川の水が東西両方向から満ち、両方向へ向かって引いていくことから、相引川と呼ばれるようになったとする説がある[2]。
また、東側の河口付近に位置する檀ノ浦で行われた屋島の戦いの際に、源氏・平氏の双方が互いに譲らず引き分けたことを由来とする説もある[3]。
橋梁
橋梁名 | 北岸 | 南岸 | 道路名 |
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高橋 | 屋島東町字高橋 | 牟礼町牟礼字浜 | 市道高橋線 |
明神橋 | 高松町字横山 | 高松町字明神 | 県道150号屋島停車場屋島公園線 |
永代橋 | 高松町字横山 | 高松町字角屋 | 市道角屋5号線 |
三崎橋 | 屋島東町字相引 | 高松町字角屋 | 市道高松町6号線 |
通路橋 | 屋島東町字相引 | 高松町字角屋 | 私道(南海プライウッド) |
赤牛橋 | 屋島東町字西の谷 | 高松町字斉田 | 市道高松町6号線 |
あわじや橋 | 屋島東町字三ツ池 | 高松町字角屋 | 市道開成久線 |
東照宮橋 | 屋島中町字馬場東 | 高松町字斉田 | 市道屋島古高松線 |
和里橋 | 屋島中町字浜畑 | 屋島西町字百石 | 市道屋島西町68号線 |
学校橋 | 屋島中町字新開 | 屋島西町字百石 | 市道百石線 |
源平橋 | 屋島中町字下畑 | 屋島西町字百石 | 県道14号屋島公園線 |
大橋 | 屋島西町字宮西・字成久 | 屋島西町字百石 | 県道150号屋島停車場屋島公園線 |
屋島新橋 | 屋島西町字子の浜 | 春日町字片田 | 市道屋島東山崎線 |
屋島大橋 | 屋島西町字新浜 | 木太町(5区)字西浜 | 市道高松海岸2号線 |
東側河口より記載。
排水施設
- 排水施設 - 所在地、雨天時最大揚水量(毎分)[5]
- 高松市相引東ポンプ場 - 高松町字角屋2284番地2、485.00m³
- 高松市百石ポンプ場 - 屋島西町字百石1872番地1地先、532.00m³
- 高松市山下川雨水ポンプ施設 - 屋島西町字百石、105.00m³
1976年(昭和51年)9月の台風17号による大雨で川の水が溢れ、屋島南部一帯が水没したため、市は相引川流域に3つのポンプ場を相次いで設置し、以後大きな水害は起っていない[6]。
参考文献
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典37 香川県』角川書店、1985年10月8日、66頁頁。ISBN 978-4-04-001370-1。
- ^ 高松市史編集室『新修高松市史』 1巻、高松市役所、1964年12月。
- ^ “屋島源平合戦 史跡ガイドマップ on the WEB 18.相引川”. 高松市観光振興課. 2011年7月16日閲覧。
- ^ “文化屋島 第50号” (PDF). 屋島文化協会 (2010年6月1日). 2011年7月16日閲覧。
- ^ “浸水対策(中心市街地浸水対策計画)”. 高松市下水道整備課. 2011年7月16日閲覧。
- ^ 山田明広、山下淳二 (1998年10月5日). “検証・高松市水没”. 四国新聞 2011年7月16日閲覧。
関連項目
- 香川県の二級水系一覧
- 屋島の戦い
- 屋島(観光地及び山)
- 屋島 (高松市)(北側の地区及び島)
- 古高松(南側の地区)