盧慕貞
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盧 慕貞(ろ ぼてい、ルー・ムージェン、1867年7月30日 - 1952年9月7日)は、中華民国政治家・孫文の最初の正室。
孫文と同じ中国広東省香山県(現中山市)出身の父親の仕事の関係でホノルルで生まれる。1885年、親同士の決定で18歳の時に孫文と結婚した。2人は一男二女(孫科と孫娫と孫婉)を儲けたが、忙しい孫文とは一緒に暮らすことはほとんどなかった。1892年に、祖母と子供たちとハワイに渡る[1]。辛亥革命の後、孫文は忙しく国事をした。1912年、女性団体「神州女界協済社」の名誉社長就任[2]。
1915年に日本で孫文が宋慶齢と結婚したことにより、孫文と離婚することにした。盧慕貞はハワイでキリスト教に入信し、マカオに転居、寄託した便りによると篤信に至ったと言う[3]。1952年に死去して、マカオの墓地に安葬された。2005年、中山市人民政府に頼まれて、中山市に安葬された[4]。
脚注
[編集]- ^ 『近代中国人名辞典』山田辰雄、霞山会, 1995、p746
- ^ 杉本史子「辛亥革命期の湯国梨と務本女塾--女性教員、女性運動家として」(PDF)『立命館文學』第608号、立命館大学人文学会、2008年12月、230-245頁、ISSN 02877015、NAID 40016478302。
- ^ 深澤秀男「孫文とキリスト教」『アルテスリベラレス』第65号、岩手大学人文社会科学部、1999年12月、35-47頁、doi:10.15113/00013368、ISSN 03854183、NAID 110000095271。
- ^ 孫文夫人宋慶齢