異常誕生譚
異常誕生譚(いじょうたんじょうたん)は昔話の形式の一種。異常な姿で生まれた子どもや、異常な生まれ方をした子どもにまつわる物語。動物の姿で生まれてくる話も多いが、非生物の話も多い。異常出生譚(いじょうしゅっしょうたん)とも呼ばれる。
『日本昔話集成』では、異常誕生譚の分類を試みている[1]。日本の異常誕生譚は農耕文化の定着に深く関わっているという[1]。
瓜姫、ひょうたん息子、指太郎、田螺息子、ミーノータウロスなど。
中国
隋の建国者・楊堅は周の大統七年六月、都であった長安の東の馮翊の般若寺という仏寺で生まれた。生まれたのは夜であるが、庭には紫の気が立ちこめたといい、母の呂苦桃はその容姿の尋常ならざることに驚き、抱いた子を地に落とす。楊堅の姿は、頭の上に角のような突起があり、体じゅうに鱗のようなものがあった[2]。この異常誕生譚は『隋書』『北史』に記されている。楊堅が異相だったことは確かなようであるが、その由来を鮮卑という民族的出自にかこつけて語るのではなく、「龍顔」「龍身」を想定させるように伝えられるのは、漢の高祖劉邦が「隆準(高い鼻)にして龍顔」であったという「帝王の相」の伝説を踏襲したからである[2]。これらは当然のことながら、後日作られた定番の帝王の異常誕生譚であるが、この話の背景には、天下統一の事業は誰によってなされようが、かの「漢」王朝のあとを継ぐ者であるという共通意識が社会に広く存在していたことを窺わせる。楊堅が隋建国後、宇文氏の周とは逆に、姓名を漢風に改めることを始めとして、急速に漢化政策を推進するが、それもこの共同観念を意識したものであり、龍顔伝説も、これに伴って喧伝された[2]。鮮卑の人びとの間では、軍事や政治には優れていても、経済や文化では中原や江南の漢人貴族には及ばないという意識が働いていた可能性もある。従って、当時の社会において、隋は漢を継承し、再生させるものだという共同観念を確立することは、天下統一には不可欠なことだった[2]。