田楽砦
田楽砦(たらがとりで)または田楽城(たらがじょう)は、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いの折り、家康方が築いたとされる砦の1つ。
概要
家康方の砦としては東端に位置する。砦として用いられた建物は、元々この辺りの豪族・長江平左衛門の屋敷であったが、近隣住民2千人を集め、柵や土塁などを築かせ、砦とした。また、隣接する宇田津砦との間には、軍道[注 1]も整備された。
この砦を守備したのは、秀吉方の池田恒興によって攻め落とされた犬山城の残党。彼らは犬山城落城後、砦となる長江家屋敷近くの伊多波刀神社に集結していた。その彼らを徳川家康自身が出向いて説得し、守備することとなった。
なお、昭和30年代(1955年〈昭和30年〉 - 1964年〈昭和39年〉の高度経済成長が生じていた東京オリンピックの頃)までは土塁の一部が残っていたが、その後(昭和40年代以降)は名古屋圏の一部としてベットタウン化が進み、この辺り一帯で大規模な宅地開発(新規住宅造成)が行なわれた結果、砦が存在していたことを示す遺構はほとんど残っていない。
所在地
- 愛知県春日井市田楽町地内 長福寺東隣り辺り
- 現在は住宅地となっている。