玖島城
玖島城 (長崎県) | |
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板敷櫓を遠望 | |
別名 | 大村城、玖島城 |
城郭構造 | 連郭式平山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 大村喜前 |
築城年 | 慶長4年(1599年) |
主な改修者 | 大村純頼 |
主な城主 | 大村氏 |
廃城年 | 明治4年(1871年) |
遺構 | 石垣、堀 |
指定文化財 | 長崎県史跡 |
再建造物 | 櫓・土塀 |
位置 | 北緯32度53分49.58秒 東経129度57分28.38秒 / 北緯32.8971056度 東経129.9578833度 |
玖島城(くしまじょう)は、日本の城。所在地は長崎県大村市玖島。
概要
城は大村湾に突き出した半島に築城された平山城で天守は建造されなかった。現在は大村公園となっており、天然記念物のオオムラザクラや菖蒲など季節折々の花が咲いている。日本さくら名所100選に選定されている。
石垣が現存し、1992年(平成4年)には板敷櫓が再建されている。
本丸跡は大村神社の境内となっており、築城者である大村喜前の遺徳碑や最後の藩主となった大村純熈の像がある。
沿革
藤原純友を祖とする大村氏は鎌倉時代よりこの地の地頭として、大村地方を領有してきた。
1587年(天正15年)、時の領主であった大村喜前(嘉前)は豊臣秀吉の九州征伐の際に、秀吉軍に参陣し領土を安堵された。喜前はキリシタン大名であったが、秀吉の圧力により改宗した。1598年(慶長3年)の秀吉死後、政情不安に備えて玖島城の築城に着手。翌1599年(慶長4年)、三城城から居城を移す。
江戸幕府開府後も領有し、大村藩(2万7000石)として明治維新まで存続した。城はその藩庁としての役割を果たした。1614年(慶長19年)より純頼によって拡張、改修され、この際、加藤清正により設計指導を受けたとされる。清正による指導を受として、美しい扇の勾配をもつ石垣が見られる。
明治維新後、1871年(明治4年)に廃城となり、建造物は破却された。1884年(明治17年)、本丸跡に大村氏歴代を祀る大村神社が建立された。
1992年(平成4年)には板敷櫓が再建されている。
文化財等
- 旧梶山御殿 - 第10代藩主大村純昌の代に別邸として建てられた。現在は大村市所有で「大村市教育の館」として教育施設として使用されている。
- お船蔵跡 - 藩主が使用した御座船等の藩所有の船が格納されていた。長崎県指定史跡。
参考文献
- 西ヶ谷恭弘/編 『定本 日本城郭事典』 秋田書店 2000年 424ページ