三城城

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三城城(さんじょうじょう)は、長崎県大村市三城町(肥前国彼杵郡大村武部郷)にあった戦国時代から江戸時代初期の日本の城

概要[編集]

大村市の中心部近く、JR大村線の山側にある。東の多良山系から続く丘陵の末端部に造られた平山城で、南の本堂川を堀代わりとしている。

縄張りは本丸、二の郭、三の郭の三つの主要な曲輪が深く掘られた横堀(空堀)で分けられており、城名はこの縄張りに由来するものといわれる。

沿革[編集]

大村氏はそれまで中世からの大村館(城の北西、乾馬場町付近)に居していたが、キリシタン大名としても知られる大村純忠がこの地に本格的な城郭を造営することとし、1564年(永禄7年)に築城成った三城城に移った。1572年(元亀3年)には純忠と対立していた武雄領主の後藤貴明らに城を包囲されたが純忠以下寡兵ながら持ちこたえ、援軍を待って包囲を解かせたことがあった。大村家では後年、これを「三城七騎篭り」と称した。

純忠の跡を継いだ嫡男の喜前1599年(慶長4年)に玖島城を新たに築いて移り、大村氏本城としての役目を終える。1637年(寛永14年)に江戸幕府の命により城は完全に破却され廃城となった。

現在、本丸跡に長崎県忠霊塔1934年建立)と霊苑がある。また、城地内の一部が富松神社と三城神社の境内となっている。城の遺構としては空土塁の一部が残るのみである。

関連項目[編集]

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