牧田登之

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牧田 登之
人物情報
生誕 1935年9月21日
日本の旗 日本 滋賀県近江八幡市
死没 (2012-02-13) 2012年2月13日(76歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京大学大学院修了
学問
研究分野 農学
獣医学
研究機関 山口大学
主な指導学生 山際大志郎
学位 農学博士
主な業績 電子顕微鏡の第一人者
主要な作品 「鶏卵管の微細構造に関する研究」(東京大学、博士論文、1966年)
主な受賞歴 中国文化賞(中国新聞社)
脚注
山口大学獣医学科創設に尽力。30年以上同大学にて教鞭を取った。
長年にわたり、動物看護士の育成に専念。
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牧田 登之(まきた たかし、1935年昭和10年)9月21日 - 2012年平成24年)2月13日)は、日本の教育者獣医学者農学博士1966年東京大学にて取得)。

経歴・人物[編集]

滋賀県近江八幡市馬淵町に生まれる。東京大学大学院を修了後、山口大学農学部にて30年以上にわたり教鞭をとる。獣医学科(現共同獣医学部)の立ち上げにも深く関わり、長年その中心人物として活躍した。また農学部学部長を務めた。電子顕微鏡の第一人者。カナダをはじめとして各国への留学も積極的に行った。中国新聞社より中国文化賞受賞。山口大学退職後、長年にわたり動物看護士の育成に努めた。教え子に衆議院議員の山際大志郎がいる。

1966年、東京大学 農学博士。論文の題は「鶏卵管の微細構造に関する研究」[1]

エピソード[編集]

  • 中国文化賞を受賞した際のインタビューで「妻との約束を果たせた」と語ったが、これは結婚式の時に燕尾服を作った登之に妻が文句を言った際に「ノーベル賞を貰う時のため」と答えた事による。
  • 病弱だった妹のために数km離れた場所まで毎日牛乳を買いに行った。

脚注[編集]

  1. ^ 博士論文書誌データベース